王昭君(読み)オウショウクン

デジタル大辞泉 「王昭君」の意味・読み・例文・類語

おう‐しょうくん〔ワウセウクン〕【王昭君】

中国、前漢の元帝の宮女。名はしょう。昭君はあざな。のちに明妃めいひ・明君ともよばれる。匈奴きょうどとの和親政策のため呼韓邪単于こかんやぜんうに嫁がせられた。その哀話は、戯曲「漢宮秋」などの文学作品や、人物画「明妃出塞図」の題材となった。生没年未詳。

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精選版 日本国語大辞典 「王昭君」の意味・読み・例文・類語

おう‐しょうくんワウセウクン【王昭君】

  1. ( 古くは「おうじょうくん」とも )
  2. [ 一 ] 中国前漢の元帝の宮女。名は嬙(しょう)。昭君は字(あざな)。紀元前三三年匈奴(きょうど)との和親のため、呼韓邪単于(こかんやぜんう)に嫁し、その地で没した。後世多くの文学作品などに哀話として潤色される。生没年未詳。
  3. [ 二 ] 雅楽。[ 一 ]故事にちなむ曲。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「王昭君」の意味・わかりやすい解説

王昭君
おうしょうくん

生没年不詳。中国、前漢の元帝(在位前49~前33)の宮女。名は嬙(しょう)、昭君は字(あざな)。紀元前33年、和親政策のため匈奴(きょうど)の王に嫁がされたことで知られる。北方遊牧民の雄、匈奴は、宣帝時代(在位前74~前49)になると、郅支単于(しっしぜんう)と呼韓邪(こかんや)単于の両勢力に内部分裂を起こし、呼韓邪は前漢に投降、自ら臣と称して来朝してきた。次の元帝時代には郅支が漢軍の攻撃を受けて敗死する。このときふたたび来朝した呼韓邪は「漢氏の壻(むこ)(婿)となって自分が北辺の守りにあたりたい。後宮の女を下賜してほしい」と希望した。それにこたえて元帝が与えたのが王昭君である。『後漢書(ごかんじょ)』によれば、彼女は選ばれて後宮に入ったにもかかわらず元帝から何年も顧みられず、自ら匈奴に嫁すことを望んだという。話が決まってから王昭君を初めて見た元帝は、その美しさに大いに驚き手放すのを惜しんだ。呼韓邪の妻として寧胡閼氏(ねいこえんし)とよばれ、1男を生み、単于の死後は匈奴の風習に従って、本妻の子で次の単于の復株累(ふくしゅるい)の妻となり、2女を生んで匈奴の地で一生を終えた。この王昭君哀話は後世広く伝承され史実とは異なる虚像が文学作品につくられていった。なかでも元の馬致遠(ばちえん)の戯曲『漢宮秋(かんきゅうしゅう)』が最高の傑作といわれる。

[春日井明]

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改訂新版 世界大百科事典 「王昭君」の意味・わかりやすい解説

王昭君 (おうしょうくん)
Wáng Zhāo jūn

中国,前漢元帝の宮女。生没年不明。名は牆(しよう),昭君は字。《漢書》匈奴伝によると,前33年匈奴との親和政策のために呼韓邪単于(こかんやぜんう)に嫁がされ,寧胡閼氏(ねいこえんし)と呼ばれて1男を生んだが,呼韓邪が死ぬと正妻の長子復株累(ふくしゆるい)単于と再婚して2女を生み,その地で死んだとある。彼女の話は後世多分に潤色されてさまざまな哀話を生み,ことに元の馬致遠が戯曲《漢宮秋》を書いて以後,彼女は悲劇ヒロインとして定着したきらいがあるが,《漢書》の記録が史実のようである。
執筆者:


王昭君 (おうしょうぐん)

説経節の曲名。1669年(寛文9)刊。日暮(ひぐらし)小太夫正本で六段構成。漢の光武帝の後宮で,美人の誉れ高い王昭君が戎(えびす)にもらわれる。その昭君を取り返すために,子良や黄石公長良や樊噲(はんかい)といった史実に名高い人物が,時代を超えて協力し活躍する,説経には珍しい金平浄瑠璃(きんぴらじようるり)に近い作。なかでも清貧の道者子良が,占星術や祈禱の呪術,知略によって,戎を屈服させるために中心的な役割を果たしている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「王昭君」の意味・わかりやすい解説

王昭君
おうしょうくん
Wang Zhao-jun; Wang Chao-chün

中国,前漢代の女性。名をしょう,字を昭君。後宮に仕え,竟寧1 (前 33) 年元帝の命により匈奴の呼韓邪単于 (こかんやぜんう) に嫁し,寧胡閼氏と称した。単于の没後再嫁したが漢土を慕いながら生涯を胡地におくった。古来中国文学の題材として扱われるが,この悲劇は宮廷画家毛延寿 (もうえんじゅ) に賄賂をおくらなかったため故意に醜女に描かれたことに起因するとされる。しかし昭君が胡地におもむくとき元帝は初めて見た王昭君の美貌に驚き,毛延寿の悪業が露見し斬罪に処したといわれる。中国,日本の画題として扱われる。

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百科事典マイペディア 「王昭君」の意味・わかりやすい解説

王昭君【おうしょうくん】

前1世紀ごろの漢の宮女。匈奴(きょうど)の呼韓邪単于(こかんやぜんう)にとつぐ(前33年)。匈奴との和親政策の犠牲となり,その地で死んだ。その哀話を題材とした作品は多く,晋の石崇の《王明君辞》,元の馬致遠の戯曲《漢宮秋》が最も有名。

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旺文社世界史事典 三訂版 「王昭君」の解説

王 昭君
おうしょうくん

生没年不詳
前漢元帝(在位前49〜前33)のときに匈奴の呼韓邪単于 (こかんやぜんう) に降嫁した宮女
匈奴との和親政策の犠牲となって嫁がされた。男児を生み,さらに次の単于に再嫁して2女を生み,その地に没した。後世,その哀話は多くの文学作品に取材され,晋の石崇 (せきすう) の『王明君辞』や元の馬致遠の戯曲『漢宮秋』は有名。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「王昭君」の解説

王昭君(おうしょうくん)
Wang Zhaojun

生没年不詳

漢の元帝の宮女。前33年,匈奴(きょうど)との親和政策のため,呼韓邪単于(こかんやぜんう)に嫁がされ,そこで死んだ。その後この哀話は伝説化した形で,多くの文学作品にとりあげられた。

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世界大百科事典(旧版)内の王昭君の言及

【漢宮秋】より

…馬致遠作。和親策の犠牲となって異民族に嫁した悲運の美姫,漢の王昭君の伝説を劇化したもの。雅俗語がみごとに調和した絶妙の歌詞を綴り,帝王の悲恋を描いた傑作として,《元曲選》の巻頭を飾る。…

※「王昭君」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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