改訂新版 世界大百科事典 「愛護若」の意味・わかりやすい解説
愛護若 (あいごのわか)
説経節の曲名。六段構成で浄瑠璃の形式であるが古説経の印象がある。内容が複雑で前後二つの部分から成る。主人公愛護若が父二条蔵人清衡の後妻雲井の前の邪恋を拒んだため,激しい憎しみを買って館を追放されるまでの前半と,館を出た愛護若が,叔父の阿闍梨(あじやり)のいる叡山を訪ね,そこで天狗と間違えられて乱暴され,失意と絶望から山中を放浪した果てに霧降滝(きりうがたき)で投身自殺する後半とである。数奇な出来事を通して人の心の暖かさと生きることの厳しさを体験するところにこの作の主題がある。臼の上に戸板を敷きマレビト(来訪神)を饗応するように迎え入れてくれた四条河原の細工(さいく)夫婦や,志賀峠(近江国)で粟の飯を柏の葉に包んで飢えを救ってくれた田畑之介兄弟の情愛は愛護にとって忘れ難いものであった。愛護とこれら賤民といわれる人々との交流やそこに生まれた絆は,通常の社会関係の中では得られない貴重な体験といえよう。しかしこの絆が現実社会の権力の象徴である叡山が作りあげた差別の介入によって崩壊したとき,愛護の怒りと無力感は急速に形をとって現れる。山の聖性を守るために叡山は,女人と三病者(癩)と細工人の登山を禁制する立札を立てるが,聖性に名を借りたこうした差別意識を愛護は鋭く告発している。叡山の叔父の阿闍梨に天狗と間違えられて追放された愛護は,やがて穴生里(あのうのさと)へ迷いこみ,ここでも不浄の者と扱われ,ついに滝に入って自殺する。108人もの追従者をまき込んだ入水劇は,この作が,愛護を後に日吉(ひえ)山王権現として祭る縁起譚として描きながら,実は中世的な説経の世界の崩壊と終焉を暗示したものであったためといえよう。
《近江国輿地(よち)志略》(寒川辰清編,1734成立)にのせる愛護若伝説によると,説経にはない部分として細工の小次郎が近江の唐崎の宮に,田畑之介が膳所(ぜぜ)田畑之社にまつられたとあって,この伝説が説経よりも古い姿をとどめていることがわかる。江戸時代の浄瑠璃に,竹本義太夫の正本《都富士》,紀海音(きのかいおん)の《愛護若塒箱(ねぐらのはこ)》がある。
執筆者:岩崎 武夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報