幸若(こうわか)舞曲や,その影響を受けた説経,浄瑠璃,歌舞伎など,百合若物と総称される作品の主人公として知られる架空の英雄。蒙古征討からの凱旋の途上,逆臣のため孤島に置き去りにされ,苦難の末に帰朝して復讐を遂げるというのが基本的な筋である。一連の百合若物では,技巧的で複雑な趣向が付加されながら改作が重ねられ,読み物として草子化されてもいる。幸若舞曲《百合若大臣》では,嵯峨帝のとき,左大臣公満が長谷寺,岡寺に祈誓して授かった観音の申し子であり,その英雄的ふるまいも神仏の加護に負うところが大きい。神仏の加護による異国退治の話柄からは八幡信仰が想起されるが,幸若舞曲でも百合若の御台所が宇佐八幡へ願を立て,所願成就したと語られている。また,百合若が観音の申し子であることは,神功皇后の本地が観音とされていたこと(《八幡大菩薩御縁起》など)をふまえているものと考えられ,百合若説話と八幡信仰とのかかわりの深さを推測させる。名前の由来についても,宇佐八幡の神職大神(おおが)氏が大和の三輪氏の分流であることから,三輪信仰の象徴である山百合の花が八幡信仰と結び付いていて百合若の名となったとも考えられている。
一方,百合若大臣は口承文芸の世界での主人公でもあり,その分布は九州地方を中心として全国に及んでいる。鹿児島県沖永良部島の昔話では,眠れば17日間眠り続け,起きれば17日間起き続けたといい,江戸への船旅の折,無人島へ漂着し眠っているうちに置き去りにされ,長い間島で暮らした後,沖を通った船に助けられ故郷へ帰り,草刈りとして超人的な働きをし,だれの手にも負えなかった愛馬に乗り,裏切り者を一矢で射殺し,その後は幸福に暮らしたという。長崎県壱岐市などでは,百合若は鬼退治に行って難にあったことになっている。伝説では,だいだらぼっちのような巨人伝説や百合若の愛鷹(緑丸)にまつわる伝説がある。幸若舞曲の原拠となった百合若説話が存在した可能性は高いが,現存する昔話・伝説がどの程度その内容を伝えているのかは不明である。
執筆者:西脇 哲夫
幸若(こうわか)舞曲の曲名。作者,成立年時未詳。天文6年(1537)の奥書を有する往来物《東勝寺鼠物語》の幸若舞曲の名寄せに曲名が掲げられている。上演記録の初見は,《言継卿記》天文20年(1551)の記事である。長谷観音の申し子百合若は,神仏の加護により蒙古(むくり)との合戦に勝った。凱旋の途中,玄界島に立ち寄り疲れをいやしたが,家臣別府兄弟が逆心を起こし,島に置き去りにされた。苦難の末,異形の身となって九州に帰着した百合若は,宇佐八幡に奉納されていた鉄の強弓を引くことで正体をあらわし,別府兄弟への復讐を遂げ,御台所ともども幸福に暮らし,日本の将軍と称された。古浄瑠璃の百合若物や近松門左衛門《百合若大臣野守鏡》などのもととなった作品。《報恩経》などの経典に見える善友太子の物語とのモティーフの類似が指摘されている。一方,百合若伝説は日本各地に流布しており,口承文芸,特に壱岐の巫女が語っていた百合若説経のような先行する語り物を脚色したものとも考えられる。また,坪内逍遥の指摘以来,ホメロス《オデュッセイア》の翻案とする説もあるが,確証はない。
執筆者:西脇 哲夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…一連の百合若物では,技巧的で複雑な趣向が付加されながら改作が重ねられ,読み物として草子化されてもいる。幸若舞曲《百合若大臣》では,嵯峨帝のとき,左大臣公満が長谷寺,岡寺に祈誓して授かった観音の申し子であり,その英雄的ふるまいも神仏の加護に負うところが大きい。神仏の加護による異国退治の話柄からは八幡信仰が想起されるが,幸若舞曲でも百合若の御台所が宇佐八幡へ願を立て,所願成就したと語られている。…
※「百合若大臣」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
米テスラと低価格EVでシェアを広げる中国大手、比亜迪(BYD)が激しいトップ争いを繰り広げている。英調査会社グローバルデータによると、2023年の世界販売台数は約978万7千台。ガソリン車などを含む...
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加