日本紀私記(読み)にほんぎしき

日本大百科全書(ニッポニカ) 「日本紀私記」の意味・わかりやすい解説

日本紀私記
にほんぎしき

日本書紀私記』ともいう。『日本書紀』の注釈書。奈良・平安時代に、勅命によって『日本書紀』の講義をしたときの博士(はかせ)の私記。『養老(ようろう)五年私記』(721)、『弘仁(こうにん)四年私記』(813)、『承和(じょうわ)六年私記』(839)、『元慶(がんぎょう)二年私記』(878)、『延喜(えんぎ)六年私記』(906)、『承平(じょうへい)六年私記』(936)、『康保(こうほう)四年私記』(967)などの名が知られる。しかし、現在はすべてその名を失い、その一部を残し、あるいは、諸書に一部のみが引用されて伝わっている。多くは、「古義」「秘訓」に関するもので、卜部兼方(うらべかねかた)の『釈日本紀』などはこれによって編纂(へんさん)したものと考えられている。『新訂増補国史大系』によって初めて、甲本、乙本、丙本、丁本の4種として公刊された。

[林 幹彌]

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改訂新版 世界大百科事典 「日本紀私記」の意味・わかりやすい解説

日本紀私記 (にほんぎしき)

奈良~平安前期に宮廷で行われた《日本書紀》講読の際の記録。《日本書紀私記》ともいう。日本紀講筵は,《書紀》完成後の721年(養老5)に行われて以来,7度にわたって行われたことが知られており,そのたびに博士が私記を作ったというが,今日ではその残巻が4種と,《釈日本紀》などに注記された逸文が残るのみであり,その内容はおおむね本文の訓読である。《新訂増補国史大系》所収
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の日本紀私記の言及

【釈日本紀】より

…著作年代は未詳だが,兼方の父兼文が1274‐75年(文永11‐建治1)ころ前関白一条実経に講義したときの説にもとづいており,また1301年(正安3)には写本ができているので,その20余年の間に完成したものと考えられる。奈良~平安初期の朝廷でしばしば行われた《日本書紀》講読の記録である《日本紀私記》が,いずれも訓のみを問題にしているのに対して,兼方は父祖以来の家学を受けつぎ,諸種の私記のみならず《上宮記》《風土記》そのほか多くの古書を参照し,解題,注音,乱脱,帝王系図,述義,秘訓,和歌の7部門に分けて,注釈を集大成した。中世の学問・思想にとって重要な書物だが,今日では室町~戦国時代に散逸した多くの古書が引用されている点で尊重される。…

【日本紀講筵】より

… 講筵はほぼ30年間隔で開かれていて,宮廷の人々がみな一生に一度はこれに触れる機会があるように配慮されていたごとくであり,博士はふつう前回に尚復などを務めた者の中から任命され,前後の講究の一貫性も重視されていたようである。博士が講義に当たって作成した覚書を《日本紀私記》といい,単に《書紀》の本文の語句に訓注を施したものと,講席における問答を逐次筆録したものとがあるが,今日いわゆる甲乙丙丁4種の不完全な《私記》の伝本があって《国史大系》に収められ,ほかに《釈日本紀》《和名抄》その他に数多くの逸文がある。甲本,丁本はそれぞれ弘仁,承平度のもので,その他はみな年次の推定が困難であるが,それらを通じてみると,《書紀》本文の定訓を確立し,それによって《書紀》の漢文的記述のもとになった和文による古伝承の姿を復元することに,一貫した努力が払われていたことがうかがわれる。…

※「日本紀私記」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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