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日真 にっしん

朝日日本歴史人物事典の解説

日真

没年:享禄1.3.29(1528.4.18)
生年:文安1(1444)
室町・戦国時代の日蓮宗の僧。大経房という。比叡山,三井寺に遊学ののち,京都妙本寺で宗学を学ぶもそれにあきたらず,独立して四条大宮に本隆寺を創建。過激な本迹勝劣説(法華経を本門と迹門とに分け,本門を勝とする説)を唱えた。また北陸方面に伝道して,若狭(福井県)に本境寺,越前(同)に本興寺を開いた。その門流は日真門流・本隆寺派と呼ばれた。天台教学に詳しく,土御門天皇の命で書写し,文亀3(1503)年に後柏原天皇に献上された『天台三大部科註』などの著作がある。<参考文献>立正大学日蓮教学研究所編『日蓮教団全史』上

(佐藤弘夫)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について | 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

日真
にっしん
(1444―1528)

室町時代の日蓮(にちれん)宗の僧。字(あざな)は慧光(えこう)。常不軽院(じょうふきょういん)と号する。但馬(たじま)(兵庫県)の人。比叡(ひえい)、園城(おんじょう)寺(三井(みい)寺)に遊学し、のち京都妙本寺に入ったが、しだいに本迹勝劣義(ほんじゃくしょうれつぎ)(『法華経(ほけきょう)』28品(ぽん)のうち後半14品の本門が勝り、前半14品の迹門(しゃくもん)が劣るという教義)に傾倒して貫首の日具(にちぐ)の本迹一致義を批判して寺を去り、1489年(延徳1)夏、京四条大宮に本隆寺(ほんりゅうじ)を創して住した。この法系を法華(ほっけ)宗真門(しんもん)流または本隆寺派という。その主張は、一部修行・本迹勝劣までは八品(はっぽん)派と同じであるが、八品正意を否定して本門正宗の一品二半のみを正意とし、また他の勝劣派の大半が本因下種(ほんいんげしゅ)論であるのに対して本果下種(ほんがげしゅ)論をとる点に大きな違いがある。著書には『天台三大部科註(ちゅう)』30巻など天台関係のものが多い。[浅井円道]

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