日本大百科全書(ニッポニカ) 「日真」の意味・わかりやすい解説
日真
にっしん
(1444―1528)
室町時代の日蓮(にちれん)宗の僧。字(あざな)は慧光(えこう)。常不軽院(じょうふきょういん)と号する。但馬(たじま)(兵庫県)の人。比叡(ひえい)、園城(おんじょう)寺(三井(みい)寺)に遊学し、のち京都妙本寺に入ったが、しだいに本迹勝劣義(ほんじゃくしょうれつぎ)(『法華経(ほけきょう)』28品(ぽん)のうち後半14品の本門が勝り、前半14品の迹門(しゃくもん)が劣るという教義)に傾倒して貫首の日具(にちぐ)(1423―1501)の本迹一致義を批判して寺を去り、1489年(延徳1)夏、京四条大宮に本隆寺(ほんりゅうじ)を創して住した。この法系を法華(ほっけ)宗真門(しんもん)流または本隆寺派という。その主張は、一部修行・本迹勝劣までは八品(はっぽん)派と同じであるが、八品正意を否定して本門正宗の一品二半のみを正意とし、また他の勝劣派の大半が本因下種(ほんいんげしゅ)論であるのに対して本果下種(ほんがげしゅ)論をとる点に大きな違いがある。著書には『天台三大部科註(ちゅう)』30巻など天台関係のものが多い。
[浅井円道 2017年9月19日]