日置部(読み)ひおきべ

改訂新版 世界大百科事典 「日置部」の意味・わかりやすい解説

日置部 (ひおきべ)

〈ひきべ〉〈へきべ〉などとも読む。日置を戸置(へき)の意に解し,民戸をつかさどるものとする説(伴信友,栗田寛),日招きや宮廷の日読(かよみ)をつかさどるものとする説(柳田国男折口信夫),さらには卜占暦法を主とし太陽祭祀に従事する者という見解も出された。一方,神事や祭祀にかかわり合いながら,それらの手工業生産にも当たる性格も指摘されてきた。

 もともと日置氏は宮内省主殿寮殿部(とのもり)の負名氏(なおいのうじ)の一つで,本拠は大和国葛上郡日置郷にあり,地縁的にも職掌的にも同じ負名氏の鴨氏と類縁の関係にあったと考えられている。葛城の鴨氏が阿治須岐託彦根(あじすきたかひこね)神をまつるのに対し,日置氏はこの神の妻という阿麻乃弥加都比女(あまのみかつひめ)をまつっていた(《尾張国風土記》)。主殿寮にあっても鴨氏は〈松柴,炭燎〉を,日置氏は〈灯燭〉をつかさどるというのは,ともに聖火に関与することを意味する。この職掌は拡大され,この聖火をもって製鉄や土器生産に従事することにもなるのである。このことは《日本書紀》垂仁39年条で五十瓊敷(いにしき)皇子が千口の大刀を鍛造したとき,十箇品部の中に日置部が含まれていたことからもうかがえよう。また日置一族は砂鉄の生産地に多く分布し(肥後菊池川,出雲国飯石郡),さらに土器生産にも当たったと考えられ,また日置氏は土師氏系とされ菅原朝臣を賜姓されている(《三代実録》)。

 このように日置氏は伴造系の官人として品部(日置部)を管掌したものだが,職掌はすべて神事にまつわるものであった。地上の聖火は天上の日神よりもたらされるがゆえに,日置氏は日神祭祀にかかわるようになったらしい。伊勢の斎宮の付近に日置氏が分布し,日置田が置かれていたり,また東の伊勢に対して落日西海の地にあるとして,日沈宮(ひしずみのみや)と称された出雲の日御碕(ひのみさき)神社の神官が日置一族であった。このことは,日置氏が文字どおり太陽祭祀にかかわりある氏族であり,日置部が日祀部(ひまつりべ)とともに古代天皇の日神的権威を奉斎し,全国に鼓吹することを職掌とした宗教的部民であったと考えられる。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の日置部の言及

【日置部】より

…この職掌は拡大され,この聖火をもって製鉄や土器生産に従事することにもなるのである。このことは《日本書紀》垂仁39年条で五十瓊敷(いにしき)皇子が千口の大刀を鍛造したとき,十箇品部の中に日置部が含まれていたことからもうかがえよう。また日置一族は砂鉄の生産地に多く分布し(肥後菊池川,出雲国飯石郡),さらに土器生産にも当たったと考えられ,また日置氏は土師氏系とされ菅原朝臣を賜姓されている(《三代実録》)。…

【日置部】より

…この職掌は拡大され,この聖火をもって製鉄や土器生産に従事することにもなるのである。このことは《日本書紀》垂仁39年条で五十瓊敷(いにしき)皇子が千口の大刀を鍛造したとき,十箇品部の中に日置部が含まれていたことからもうかがえよう。また日置一族は砂鉄の生産地に多く分布し(肥後菊池川,出雲国飯石郡),さらに土器生産にも当たったと考えられ,また日置氏は土師氏系とされ菅原朝臣を賜姓されている(《三代実録》)。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」