早崎治(読み)はやさきおさむ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「早崎治」の意味・わかりやすい解説

早崎治
はやさきおさむ
(1933―1993)

写真家。京都市生まれ。高度経済成長にともない日本の広告産業が飛躍的な隆盛をみせた1960~70年代における、広告写真の第一人者。立命館大学経済学部在学中から写真雑誌に作品を投稿。1956年(昭和31)同大学を卒業し、名取洋之助の紹介で広告制作会社ライトパブリシティに入社。アート・ディレクター信田(のぶた)富夫(1925―96)、村越襄(じょう)らの指導を得ながら、雑誌・新聞広告やポスター、カレンダーほかのさまざまな媒体のため写真撮影に取り組み、的確な判断力と高い技量を身につけた新世代の写真家として早くから頭角を現した。1961年日本写真批評家協会新人賞受賞。

 1961~1963年東京オリンピック(1964)の広告キャンペーンに参加、陸上選手たちがスタート・ダッシュを切ろうとする瞬間を50灯のストロボを駆使して撮影した写真などによるポスター三部作(アート・ディレクター亀倉雄策)で注目を浴び、アート・ディレクターズ・クラブ(ADC)賞金賞受賞。1962年、写真批評家福島辰夫(1928― )の企画により当時の新鋭写真家たちの作品を集めた「NON」展(松屋銀座、東京)に、石元泰博(やすひろ)、奈良原一高東松照明川田喜久治(きくじ)、細江英公、今井寿恵(ひさえ)(1931―2009)らとともに参加。

 1965年独立しコマーシャル・プロダクション早崎スタジオを設立。自動車メーカー、家電メーカー、飲料メーカーなどの多数の企業広告、各種の雑誌表紙、日本万国博覧会(1970)のポスターなどのための写真撮影を旺盛に展開する。1974年それまでの代表作と自身で書き下ろした広告写真論からなる大著『早崎治広告写真術』を出版。70年代以降には、特殊ストロボの開発から着手して、5万分の1秒程度のシャッター速度によるさまざまな対象の動態撮影に至る技術の研鑚を長期にわたってかさね、数々の作品を個展等で発表した。各広告賞受賞多数。1992年(平成4)日本広告写真家協会会長に就任。翌1993年取材中の転落事故により急逝

[大日方欣一]

『『早崎治広告写真術』(1974・河出書房新社)』『『君にも撮れる本格派写真』(1978・ヤシカ)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

20世紀日本人名事典 「早崎治」の解説

早崎 治
ハヤサキ オサム

昭和・平成期の写真家 (株)ハヤサキスタジオ主宰。



生年
昭和8(1933)年5月7日

没年
平成5(1993)年11月11日

出身地
京都府京都市

学歴〔年〕
立命館大学経済学部〔昭和33年〕卒

主な受賞名〔年〕
日本宣伝賞(山名賞特別賞 第15回)〔平成6年〕

経歴
在学中から写真部で活躍。大学卒後すぐに京都の造園家重森三玲が編集した「日本の庭園」全4巻の写真を担当翌年、上京して広告制作会社ライトパブリシティに入社。ストロボを駆使した斬新な映像で注目され、東京オリンピックのポスターなどの傑作を生み出した。昭和56年には「瞬間よ止まれ、君は美しい―五万分の一秒の世界」、58年には「色彩森林」と題する個展を開く。ハヤサキスタジオを主宰し、平成4年日本広告写真家協会会長に就任。著書に「早崎治広告写真術」他。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「早崎治」の解説

早崎治 はやさき-おさむ

1933-1993 昭和後期-平成時代の写真家。
昭和8年5月7日生まれ。昭和32年ライトパブリシティにはいり,広告写真を担当。ストロボを効果的につかい,36年亀倉雄策と制作した「東京オリンピック」ポスターはその代表作。平成4年日本広告写真家協会長。平成5年11月11日死去。60歳。京都出身。立命館大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「早崎治」の解説

早崎 治 (はやさき おさむ)

生年月日:1933年5月7日
昭和時代;平成時代の写真家。ハヤサキスタジオ主宰;日本広告写真家協会会長
1993年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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