朝日日本歴史人物事典 「明峰素哲」の解説
明峰素哲
生年:建治3(1277)
鎌倉中期から南北朝期の曹洞宗の禅僧。能登(石川県)の生まれ。一説に加賀生まれ。曹洞宗第4祖瑩山紹瑾の一番弟子。比叡山で出家し,初め天台教学を学んだが,やがて建仁寺にて臨済禅に転じる。のちに加賀大乗寺の瑩山に参じ,認められて侍者となり,8年の参学ののち,開悟した。元亨3(1323)年,瑩山より法衣を伝えられ,正中2(1325)年,瑩山の後席を継いで永光寺の住持となる。「法は明峰」と讃えられているが著述は少ない。だが,その法は明峰派といわれ,江戸期以降の宗学の発展に重要な役割を果たした。<著作>『明峰仮名法語』<参考文献>卍元師蛮『延宝伝灯録』
(竹内弘道)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報