明峰素哲(読み)めいほう・そてつ

朝日日本歴史人物事典 「明峰素哲」の解説

明峰素哲

没年:観応1/正平5.3.28(1350.5.5)
生年建治3(1277)
鎌倉中期から南北朝期の曹洞宗禅僧能登(石川県)の生まれ。一説加賀生まれ。曹洞宗第4祖瑩山紹瑾の一番弟子。比叡山出家し,初め天台教学を学んだが,やがて建仁寺にて臨済禅に転じる。のちに加賀大乗寺の瑩山に参じ,認められて侍者となり,8年の参学ののち,開悟した。元亨3(1323)年,瑩山より法衣を伝えられ,正中2(1325)年,瑩山の後席を継いで永光寺の住持となる。「法は明峰」と讃えられているが著述は少ない。だが,その法は明峰派といわれ,江戸期以降の宗学の発展に重要な役割を果たした。<著作>『明峰仮名法語』<参考文献>卍元師蛮延宝伝灯録

(竹内弘道)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「明峰素哲」の解説

明峰素哲 めいほう-そてつ

1277-1350 鎌倉-南北朝時代の僧。
建治(けんじ)3年生まれ。曹洞(そうとう)宗。加賀または能登(のと)(石川県)の人。比叡(ひえい)山で出家,のち瑩山紹瑾(けいざん-じょうきん)に随従。師の跡をついで能登永光寺,加賀大乗寺の住持となり,晩年越中(富山県)光禅寺をひらいた。その法流を明峰派,十二門派という。観応(かんのう)元=正平(しょうへい)5年3月28日死去。74歳。俗姓富樫

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「明峰素哲」の意味・わかりやすい解説

明峰素哲
めいほうそてつ

[生]建治2(1276)
[没]正平5=観応1(1350).3.
室町時代の曹洞宗僧。初め比叡山で天台学を修め,次いで加賀の大乗寺の瑩山に師事し,禅の印可を受けた。のち越中に光禅寺を開いた。彼の法を継承した弟子二十余人,法流は明峰派と呼ばれ,峨山派とともに曹洞宗の二大門流となった。

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