光禅寺(読み)こうぜんじ

日本歴史地名大系 「光禅寺」の解説

光禅寺
こうぜんじ

[現在地名]山形市鉄砲町二丁目

江戸時代城下町であった三日みつか町にある。天滝山と号し、曹洞宗本尊釈迦如来。山形城下禅宗四ヵ寺の一寺で、曹洞宗小本寺であった。慶長元年(一五九六)山形城主最上義光横山よこやま(現北村山郡大石田町)向川こうせん寺九世春林禅冬を開山とし、七日町に創建して慶長けいちよう寺と号した。しかし幕府の年号寺名禁止令により、元和年間(一六一五―二四)光禅寺と改称したと伝える。周囲に塀をめぐらし、中央には広壮な七堂伽藍を配し、山門御殿ごてん堰の南にあり、同地を門前と称したという。


光禅寺
こうぜんじ

[現在地名]五日市町五日市二丁目

殿との山の西麓、旧山陽道に面してある。五葉院宝玉山と号し、浄土真宗本願寺派。本尊は阿弥陀如来。もとは高井たかい口和田くちわだの境にあって治音じおん(慈恩寺)と称する真言宗の寺であったが、永正三年(一五〇六)浄土真宗に改宗し現寺号に改めた。永禄二年(一五五九)池田いけだ城麓の五葉ごよう院の地に移り、天正八年(一五八〇)に現在地に移った。

佐伯郡誌」によれば、正暦年間(九九〇―九九五)花山天皇より如意宝珠山の山号を授けられたという。楠木氏ゆかりの寺と伝え、南朝の遺臣の経巻や菊水紋の網代籠があったが、火災で焼失した。「佐伯郡誌」は康暦二年(一三八〇)一一月五日付の奥書をもつ写経の写真を載せ、境内に南朝遺臣の髻塚、僧祐覚の首塚、植木小右衛門の墓などがあるという。


光禅寺
こうぜんじ

[現在地名]氷見市丸の内

氷見市役所の北西にあり、海恵山と号し、曹洞宗。本尊釈迦如来。嘉暦二年(一三二七)あるいは暦応元年(一三三八)頃の創建という。開山は瑩山紹瑾の弟子明峰素哲。峨山韶碩の総持寺派とともに曹洞宗の二大勢力だった明峰の永光寺派の中心寺院の一つである。観応元年(一三五〇)三月二三日の明峰素哲置文(永光寺中興雑記)に寺名がのる。兵部卿親王が七堂伽藍を建立して祈願所とし、また足利尊氏が境内と寺領を寄進したと伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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