明教寺(読み)みようきようじ

日本歴史地名大系 「明教寺」の解説

明教寺
みようきようじ

[現在地名]弘前市新寺町

新寺しんてら町寺院街にあり、専徳せんとく寺もと境内左手前、浄龍じようりゆう寺の東に位置。三光山と号し、真宗大谷派。本尊阿弥陀如来。もと専徳寺塔頭。

浄土真宗一派縁起(市立弘前図書館蔵)によれば、承応三年(一六五四)賀田よした(現中津軽郡岩木町)に創立されたとあり、開山は玄竜。


明教寺
みようきようじ

[現在地名]羽曳野市島泉二丁目

高鷲山と号し、浄土真宗本願寺派、本尊は阿弥陀如来。明教寺を含む一帯は奈良時代前期の寺院跡(明教寺跡・高鷲寺跡)に含まれる。寺伝によると、推古天皇二年聖徳太子の創建とされ、もと鳳凰ほうおう寺と号し天台宗であったという。天平宝字八年(七六四)二月、称徳天皇より高鷲山鳳凰堂明教寺の号を賜り、その後寛元年間(一二四三―四七)順徳院の皇子彦成王が出家して慶誉と号し、当寺の住職となり真宗に改宗した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む