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橋本左内 はしもとさない

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

橋本左内
はしもとさない

[生]天保5(1834).3.11. 越前
[没]安政6(1859).10.7. 江戸
幕末の経略家,志士。号は景岳。越前藩医橋本長綱の子。幼時から俊秀の名高く,16歳のとき大坂で緒方洪庵の蘭学塾に入門,蘭学,医学を修め,嘉永5 (1852) 年父業を継いで藩医となったが,ペリー来航による国事多端のおりから,江戸で水戸,薩摩の諸藩士らと時勢を論じ,また藩校明道館教授として藩主松平慶永の知遇を得て藩政に参画。

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デジタル大辞泉の解説

はしもと‐さない【橋本左内】

[1834~1859]幕末の志士。福井藩士。名は弘道。号、景岳。緒方洪庵(おがたこうあん)杉田成卿(すぎたせいけい)らに蘭学・医学を学び、藩主松平慶永(まつだいらよしなが)に認められ、藩政改革に尽力。将軍継嗣問題では一橋慶喜(ひとつばしよしのぶ)擁立に尽力。安政の大獄で斬罪(ざんざい)に処された。

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百科事典マイペディアの解説

橋本左内【はしもとさない】

幕末の志士。号は景岳(けいがく)。福井藩医の子。15歳で緒方洪庵の適々斎塾に入門し医学・洋学を学んだ。父の死後18歳で藩医となる。1854年―1855年江戸に遊学,藤田東湖西郷隆盛らと交遊。
→関連項目適塾

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

橋本左内 はしもと-さない

1834-1859 幕末の武士,医師。
天保(てんぽう)5年3月11日生まれ。橋本長綱の長男。越前福井藩士。緒方洪庵にまなび,父の跡をついで藩医となる。安政元年江戸にでて藤田東湖らとまじわり,4年藩主松平慶永(よしなが)の侍講兼内用掛となる。開国貿易論を提唱し,将軍継嗣問題では一橋慶喜(よしのぶ)の擁立につくし幕政改革をとなえたが,安政の大獄で6年10月7日刑死。26歳。名は綱紀(つなのり)。字(あざな)は伯綱,弘道。号は景岳など。著作に「啓発録」など。
【格言など】稚とはすべて水くさき処ありて,物の熟して旨き味のなきを申也(「啓発録」)

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朝日日本歴史人物事典の解説

橋本左内

没年:安政6.10.7(1859.11.1)
生年:天保5.3.11(1834.4.19)
幕末の開明的改革論者。諱は綱紀,字は伯綱,弘道。左内と称す。号は景岳など。父は福井藩奥医橋本長綱。母は僧侶の小林静境の娘梅尾。嘉永2(1849)年,蘭方医学の緒方洪庵に入門。同5年,家督相続。安政1(1854)年,法学者杉田成卿らに入門,藤田東湖らとも交流。翌2年,医師を免じられ御書院番。同3年に洋書習学所設置に尽力。同4年から5年にかけて,藩主松平慶永を助けて雄藩大名主導の政府樹立,重商主義富国強兵による全国規模の海防体制構築を構想し一橋慶喜将軍継嗣擁立運動を江戸,京都で推進。井伊直弼ら南紀派と対立し失敗。安政の大獄で斬刑。ストイックな性格で15歳で『啓発録』を著している。

(吉田昌彦)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

はしもとさない【橋本左内】

1834‐59(天保5‐安政6)
幕末の志士。福井藩士。名は綱紀。号は景岳,黎園。左内は通称。藩医彦也(げんや)長綱の長男。藩儒吉田東篁に学び,15歳のとき自省の書《啓発録》を著す。翌年から2年余大坂緒方洪庵の適塾に遊学し,蘭学,西洋医術を習得。藩医相続の後1854年(安政1)江戸に赴いて杉田成卿(せいけい)らに学んで英語,ドイツ語をも読解可能に至る一方,藤田東湖らとも交わり政治に開眼した。57年藩校明道館学監となり,実学精神を鼓吹し洋書習学所をもうけるなどの治績をあげた。

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大辞林 第三版の解説

はしもとさない【橋本左内】

1834~1859) 幕末の志士。越前福井藩士。号、景岳。緒方洪庵・杉田成卿(玄白の孫)に医学と洋学を学び、のち藩校明道館学監となった。将軍継承問題で、一橋慶喜の擁立に尽力し、安政の大獄によって斬首された。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

橋本左内
はしもとさない
(1834―1859)

幕末の開明派志士。福井藩士。名は綱紀(つなのり)、号は景岳、黎園(れいえん)。左内は通称。25石五人扶持(ぶち)奥外科医の長男。1848年(嘉永1)『啓発録』を著す。翌年大坂の緒方洪庵(おがたこうあん)塾に学び、1854年(安政1)江戸遊学、蘭学(らんがく)研究を続けるとともに英語、ドイツ語にも理解をもった。この間、藤田東湖(ふじたとうこ)、西郷隆盛(さいごうたかもり)らとも交渉し内外情勢への識見を深め、1855年藩医から御書院番に起用され、1857年藩校明道館学監となり、政教一致、経済有用の学を鼓吹し洋書習学所を設けるなど治績をあげた。同年江戸に呼ばれて藩主松平慶永(まつだいらよしなが)の侍読兼内用掛となり、一橋慶喜(ひとつばしよしのぶ)を擁する将軍継嗣(けいし)運動に携わった。彼は近い将来における国際連合的機構の出現を予想し、積極的に開国してロシアと攻守同盟を結び、外国貿易を盛んにして富国強兵を実現するとともに、英明の将軍のもと親藩、譜代(ふだい)、外様(とざま)にかかわらず有為の大名、藩士、浪人、学者、さては庶民層までも網羅した幕府規模における統一国家体制の樹立を考えていた。1858年上京して公家(くげ)に遊説、あわせて通商条約への勅許を勧めたが、紀州慶福(よしとみ)(家茂(いえもち))を推す井伊直弼(いいなおすけ)大老の出現により一橋派は敗北、安政(あんせい)の大獄で捕らえられ、翌年処刑された。彼は西洋学への深い理解をもったが、実用の学としてより以上の価値を認めることができなかった。また、軽輩の身分から抜擢(ばってき)し藩・国政の枢機へ参加させた慶永への誠忠の念強く、在獄中も終始主家へ災いの及ぶことを恐れた。[山口宗之]
『景岳会編『橋本景岳全集』上下(1935・畝傍書房) ▽山口宗之著『橋本左内』(1962・吉川弘文館)』

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世界大百科事典内の橋本左内の言及

【藩政改革】より

… これに対して,伝統的な土着産業を基礎におき,絹業の育成に努めたのは福井藩である。まず姫路藩の河合寸翁と比較される指導者三岡八郎(のちの由利公正)の存在と,彼を支える横井小楠,さらにその師橋本左内に及ぶ活眼の人脈にふれておかなくてはなるまい。福井藩は表高32万石で,会津藩同様に三家に次ぐ家門の位置にたつ有力藩であった。…

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