智識寺跡(読み)ちしきじあと

日本歴史地名大系 「智識寺跡」の解説

智識寺跡
ちしきじあと

[現在地名]柏原市太平寺二丁目

知識寺とも書き、奈良時代創建の寺院。聖武天皇や孝謙(称徳)天皇の行幸礼仏で知られる。知識とは造寺造仏や写経に当たり浄財を出すことで、知識寺とはその知識結によって建立された寺院の意であろう。寺跡は太平寺たいへいじ集落のなかほど、いわ神社の西方と考えられている。東西両塔のある薬師寺式の伽藍配置をとるもので、寛政二年(一七九〇)の村絵図(山本家蔵)には、西塔跡や中門跡が描かれており、東塔跡から出土した塔心礎(府指定文化財)は石神社へ運ばれている。発掘調査は実施されていないが、出土した瓦から奈良時代前期創建が推定されている。ただしこの寺跡は村名の起源ともなった太平寺跡とも考えられており、遺構も両者が重複している可能性がある。智識寺と太平寺の関係はつまびらかでないが、「拾芥抄」に「太平寺河内、知識寺云々」「河内国知識寺在大県郡、号太平寺」とあり、智識寺の法灯を継ぐと伝える当地の曹洞宗観音寺縁起は、後鳥羽院の時、源頼朝が勅を奉じて二寺を合せて一ヵ寺としたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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