太平寺村(読み)たいへいじむら

日本歴史地名大系 「太平寺村」の解説

太平寺村
たいへいじむら

[現在地名]柏原市太平寺一―二丁目・太平寺

大県おおがた村の西、ひがし山のなかの天冠てんかん(嶽山)の山麓に位置する。東山とは生駒山地を山麓の村々からみた呼称。天冠山から西に延びた尾根の先端に式内社いわ神社がある。境内の樟は府指定天然記念物。神社のすぐ東山手に、清浄水といわれる湧水井がある(府指定史跡)竹原井たかはらい頓宮の名となった竹原井にあてる説もある。神社の西、集落のなかほどに西塔さいとう中門ちゆうもん堂庭どうのにわなどの小字名が残り、ここが村名の起源ともなった太平寺跡である。奈良時代の智識ちしき寺も同所にあったと考えられている。地名としての太平寺は、明応二年(一四九三)の河内御陣図(福智院家文書)にみえる。太平寺での合戦としては河内落合合戦が有名。


太平寺村
たいへいじむら

[現在地名]福島市太平寺

鳥谷野とやの村・黒岩くろいわ村の西に位置し、南は伏拝ふしおがみ村・永井川ながいかわ村、西は大森おおもり村。大平寺とも記された。村名はかつて太平寺という寺があったことによると伝える(信達二郡村誌)。「信達一統志」は「鎌倉志」を引いて大慶寺と記し、また泰平寺とも記すが、同寺の実在については不詳。天文七年(一五三八)の段銭古帳に信夫名倉しのぶなぐら方のうちとして「たいへいし」とみえ、段銭は七貫六〇〇文。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録では高八二四石余。近世初期の邑鑑によると高八四四石余、免八分、家数二(肝煎一・脇家一)、人数四。


太平寺村
たいへいじむら

[現在地名]東大阪市太平寺一―二丁目・寺前てらまえ町一―二丁目・太平寺

渋川郡に属し、西は岸田堂きしだどう村。地名は太平寺という古寺があったのによると考えられる。条里制の坪名と思われる六ノ坪の小字名が残る。戦国時代には石山いしやま本願寺(跡地は現東区)勢力下にあった「河内八里」の一で、「天文日記」の天文七年(一五三八)・同八年の一二月二七日条に「太平寺」とみえる。

天正一二年(一五八四)一一月の河内国御給人御蔵入之内より出米目録(中之島図書館蔵)に八一石七斗二升「太平寺」とみえ、うち四三石六斗四升八合出米とある。


太平寺村
たいへいじむら

[現在地名]堺市太平寺

石津いしづ川中流の平地部にあり、西は菱木ひしき村。大鳥郡に属する。村名は当地にある太平寺にちなむ。応永二五年(一四一八)九月二五日の太平寺開眼供養職衆交名(法道寺文書)に「若松荘下条太平寺堂塔」と寺名がみえ、当地が若松わかまつしも条に含まれたことが知られる。永正一〇年(一五一三)一一月一八日の菱木南明庵畠地売券(土師家文書)によると、南明庵妙観が堺の源四郎に売った一反の畑地が「若松庄下条大平後」にあったが、これは当地をさすと思われる。


太平寺村
たいへいじむら

[現在地名]大分市永興りようご 南太平寺みなみたいへいじ三芳みよし 太平町たいへいまち

府内城下の南西に位置する。東西に延びる丘陵を南北に貫く堀切ほりきり峠を挟んだ東にあり、丘陵の北斜面は城下を眼下に望む。村名は当地にあった安国山太平寺に由来すると伝える(雉城雑誌)正保郷帳に泰平寺村とみえ田高一五五石余・畑高一〇七石余、笠和かさわ郷に所属。領主変遷駄原だのはる村に同じで、里郷上村組。天保一一年(一八四〇)の家数六九(「尼ヶ瀬村庄屋文書」県立大分図書館蔵)。村域は丘陵北斜面の北太平寺と南斜面の南太平寺に分れているが、明治八年(一八七五)南太平寺は永興村・井蕪いのかぶ村と合併して永興村となり、北太平寺は椎迫しいざこ村などと合併して三芳村となる。


太平寺村
たへいじむら

[現在地名]野々市町太平寺一―四丁目

手取川扇状地北東部、富樫とがし用水の分流十人じゆうにん川の流域に位置し、東は野々市村。大平寺とも記す。応永五年(一三九八)八月一五日の明峰和尚法弟連判書写(「永光寺中興雑記」永光寺文書)によれば、永光ようこう(現羽咋市)末寺として明峰素哲門下の不惜玄位が曹洞宗「石河大平寺」を開き、同年の住持は祖傑であった。同寺は当地付近にあったと推測されるが未詳。正保郷帳では大平寺村位川くらいがわ村の高四〇七石余、田方二三町三反余・畑方三町八反余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印による当村の高二九五石、免五ツ八歩(三箇国高物成帳)


太平寺村
たいへいじむら

[現在地名]伊吹町太平寺

小泉こいずみ村の東、伊吹山の西山腹に位置。村名は伊吹四大寺の一、太平護国寺があったことによる。大平寺とも記す。中世京極氏が愛知えち川以北六郡を領有するにあたり、当地に政所を置き、太平の館と称したと伝える。寛永石高帳に村名がみえ高八石余、彦根藩領(幕末に至る)。嘉永五年(一八五二)の田畑作高調帳(伊富貴文書)でも同高で、反別九町七反余、うち二町七反余は他村(上野・大久保・伊吹・小泉)より請作。元禄八年大洞弁天寄進帳では人数六三、うち寺社方五。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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