日本大百科全書(ニッポニカ) 「曽畑貝塚」の意味・わかりやすい解説
曽畑貝塚
そばたかいづか
熊本県宇土(うと)市大字岩古曽(いわこそ)小字曽畑に所在する縄文文化前期と後・晩期の土器を出土する貝塚。前期の貝塚は本遺跡出土の土器を標式として命名した曽畑式土器を出土し、貝層下の褐色土層からは早期末の轟(とどろき)I式と押型文土器を検出している。そのほか石鏃(せきぞく)、石斧(せきふ)、貝製品が出土している。曽畑式土器は製作粘土中に滑石の粉末を混じたものがあり、土器の表裏両面の手ざわりが滑らかで、白色の光沢ある粉末が土器面に浮き出しているものがある。土器焼成の粘土中に滑石粉末、石綿粉末を混じたものは、朝鮮半島の櫛目文(くしめもん)土器に認められるものであり、文様、器形の類似とあわせて、本土器文化は半島南東部から西北九州へ櫛目文土器文化の波及によって成立した文化とみなされる。
曽畑式土器は西九州地方一帯から種子島(たねがしま)、屋久(やく)島を経て沖縄本島までの範囲を文化圏とし、東九州には及んでいない。曽畑貝塚は1959年(昭和34)慶応大学で大規模な発掘調査を行っている。
[江坂輝彌]