曾木村(読み)そぎむら

日本歴史地名大系 「曾木村」の解説

曾木村
そぎむら

[現在地名]富岡市曾木

南境から東境かぶら川が蛇行しつつ北流し、北東部で北境を東流する高田たかた川を合して東流する。西は富岡村と接し、村央を東西下仁田しもにた道が抜け、東の田篠たじの村との間に鏑川を渡る大坊瀬だいぼうぜ渡があった。「和名抄宗伎そぎ(高山寺本は宇伎)に比定され、「山吹日記」に「和名抄に宗伎の字を用たるは此所なるへし」、「国志」にも「宗伎は今の曾木なる歟」とある。近世はおおむね七日市藩領。寛永一七年(一六四〇)検地帳(富岡市役所蔵)によると田二四町三反四畝余(うち上田一九町一反余)・畑二九町九反八畝(うち上畑一五町一反余)・屋敷八一筆三町九反余(うち二一口を所有する者一、六口を所有する者一)、御蔵屋敷二畝がある。天保一五年(一八四四)の年貢割付状(石井文書)によると萩畑二反六畝余があり、金納七六両余のうち三両二分余分を麻・大豆・荏で納めている。


曾木村
そぎむら

[現在地名]土岐市曾木町

細野ほその村の北、北流する肥田ひだ川上流部にあり、東は小里おり(現瑞浪市)中馬ちゆうま街道が東西に通る。貞治五年(一三六六)八月三日の足利義詮御教書(土岐文書)妻木つまぎ郷のうちとして曾木村がみえ、土岐下野入道(頼高)地頭職が安堵されている。以後細野村と同様土岐明智氏に伝領されたとみられる。慶長郷帳にみえる「ばぎ村」三六四石余は当村のことか。


曾木村
そぎむら

[現在地名]本耶馬渓町曾木

山国やまくに川西岸、大平おおひら山南東麓の扇端部にあり、東は樋田ひだ村、南は跡田あとだ村、西と北は山。康永三年(一三四四)一一月二日の少弐頼尚書下(小代文書)に「小代八郎左衛門尉重氏申、豊前国山国郷安於曾木村地頭職事、任御下文并御施行之旨、守護代相共莅彼所、沙汰付重氏、載起請之詞、可被注申候、依執達如件」とみえ、同文書にはこの村についての安堵状が、嘉慶二年(一三八八)と応永一七年(一四一〇)にもみられる。


曾木村
そぎむら

[現在地名]吉田村曾木

西は吉田村、北は深野ふかの村。正保国絵図に村名がみえる。もと曾木と矢入やにゆう(箭入)に分れていたらしく、承応二年(一六五三)の曾木箭入村御検地帳によれば、箭入は田畑合計五町一反余・分米四六石余、屋敷四(うち引屋敷一)、曾木は田畑合計五町三反余・分米四四石余、屋敷八とある。元禄十年出雲国郷帳には曾木矢入とあり高一二二石余、寛文四年(一六六四)の本田高一一九石余・新田高一石余。寛政四年(一七九二)の飯石郡中万差出帳(県立図書館蔵)によれば高一二六石余、田九町余・畑二町八反余、家数大小四八・人数一六四、牛六九・馬一五、御役目屋敷一〇・御蔵一ヵ所があり、年寄・下役人が置かれ、ほかに小鍛冶屋一軒・紺屋一軒、吉田町田部長右衛門所有の鉄山二ヵ所がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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