最勝講(読み)サイショウコウ

精選版 日本国語大辞典 「最勝講」の意味・読み・例文・類語

さいしょう‐こう【最勝講】

  1. 〘 名詞 〙 仏語。金光明最勝王経の講会。特に宮中の清涼殿で、天下泰平国家安穏祈願のため毎年陰暦五月の吉日を選んで五日間、東大寺・興福寺・延暦寺・園城寺の四つの大寺の僧を選び、金光明最勝王経一〇巻を、朝夕二回一巻ずつ講じさせた法会。最勝の御八講。さいそうこう。《 季語・夏 》 〔御堂関白記‐寛弘二年(1005)八月一日〕
    1. [初出の実例]「五日は端午の祭。薬玉の御節供、競馬、日吉祭、最勝講(サイセウカウ)を行はる」(出典:太平記(14C後)二四)

最勝講の語誌

最勝王経は国家鎮護・人民安穏を利益する経典として重んぜられ、天平一三年(七四一)、聖武天皇の国分寺建立の発願も、この経の信仰に基づいている。本経にかかわる法会として、御斎会(ごさいえ)、最勝会などが早くから行なわれた。


さいそう‐こう【最勝講】

  1. 〘 名詞 〙さいしょうこう(最勝講)
    1. [初出の実例]「やうやう十日あまりに成りぬれば、さいさう講いとなみあひ参らせてと聞きしかば」(出典:讚岐典侍(1108頃)下)

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世界大百科事典(旧版)内の最勝講の言及

【最勝会】より

…一方,平安京円宗寺においても1082年(永保2)2月に最勝会が開始され,当寺の法華会と法勝寺の大乗会とともに北京三会と称して,南都三会に準じ,延暦,園城両寺で隔年勤修したが,鎌倉時代末に至り円宗寺の廃寺とともに廃絶した。《最勝王経》の盛行はすでに奈良時代からみられるが,最勝会のほか最勝講と称して,国家の安泰,天皇の長寿を祈願する法会が,1002年(長保4)から毎年5月の吉日を選んで5日間,宮中で釈迦を本尊とし毘沙門天,吉祥天を脇侍として,東大,興福,延暦,園城の4寺の学僧を招いて行われ,恒例化した。仙洞(せんとう)最勝講,法勝寺最勝講とともに三講の一つに数えられたが,南北朝期以後衰退した。…

※「最勝講」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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