最勝王経は国家鎮護・人民安穏を利益する経典として重んぜられ、天平一三年(七四一)、聖武天皇の国分寺建立の発願も、この経の信仰に基づいている。本経にかかわる法会として、御斎会(ごさいえ)、最勝会などが早くから行なわれた。
…一方,平安京円宗寺においても1082年(永保2)2月に最勝会が開始され,当寺の法華会と法勝寺の大乗会とともに北京三会と称して,南都三会に準じ,延暦,園城両寺で隔年勤修したが,鎌倉時代末に至り円宗寺の廃寺とともに廃絶した。《最勝王経》の盛行はすでに奈良時代からみられるが,最勝会のほか最勝講と称して,国家の安泰,天皇の長寿を祈願する法会が,1002年(長保4)から毎年5月の吉日を選んで5日間,宮中で釈迦を本尊とし毘沙門天,吉祥天を脇侍として,東大,興福,延暦,園城の4寺の学僧を招いて行われ,恒例化した。仙洞(せんとう)最勝講,法勝寺最勝講とともに三講の一つに数えられたが,南北朝期以後衰退した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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