最教寺(読み)さいきようじ

日本歴史地名大系 「最教寺」の解説

最教寺
さいきようじ

[現在地名]平戸市岩の上町

高野谷こうやだににある。高野山虚空蔵こくぞう院と号し、談義所と通称される。真言宗智山派本尊は虚空蔵菩薩。大同元年(八〇六)空海が唐から帰る途次に当地で禅定を行い、護摩供を行うなどした霊地であるという。のち当地に一宇を開創して真言宗を広めたという快源が当寺の開山とされており、二世阿尊が継ぎ、一〇世に及ぶが、その後荒廃した。その後、曹洞宗の金竜山瑞雲ずいうん(現鏡川町)の輪叟が境内を整えて草庵を営み、勝音しようおん院と号して隠居所とした。慶長年間(一五九六―一六一五)平戸藩初代藩主の松浦鎮信(法印)が真言宗に帰依しており、当時住持の竜呑英徹らに真言宗への改宗を求めたが、竜呑はこれを拒否したため、鎮信は家臣の佐志氏に命じて勝音院を焼払わせたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

デジタル大辞泉プラス 「最教寺」の解説

最教寺

長崎県平戸市にある真言宗智山派の寺院山号は高野山、本尊は虚空菩薩。空海が唐からの帰朝時に護摩を焚いた霊地と伝わる。

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