有屋村
ありやむら
中田村の東方にある。金山川の最上流域にあたり、東方に神室山がそびえる。蟻谷とも記し、新田本村鑑は枝郷として宮・柳原・田茂の木・上有屋・稲沢・栩の木(栃木)・下向居(下向)をあげる。天平九年(七三七)四月四日、鎮守府将軍大野東人が駐屯した「賊地比羅保許山」(「続日本紀」同月一四日条)を神室山に比定し、天平宝字三年(七五九)に設置された平戈駅(同書同年九月二六日条)を当地に擬定する説がある。慶長七年(一六〇二)秋田に入部した佐竹氏によって雄勝峠が開かれる以前、現山形県と秋田県を結ぶ内陸路としては、当地北東の黒森と水晶森の間、有屋峠越が広く使われたとされ、「奥羽永慶軍記」によれば天正一四年(一五八六)以降、数次にわたって出羽仙北の小野寺氏と最上義光が同峠で対峙している。
有屋村
ありやむら
中勝村の北に位置し、西部を有屋川が北流する。地内にグスク跡がある。按司(アジ)屋敷にいる者が射的の名手で、女児が水を担いで行くと矢を射って桶の釣縄を切って水がこぼれるのを楽しんだといい、これをよしとしない平有盛はその者が髪結いするのを狙って不意討をくらわせたと伝える。この名手は源為朝の家臣義桑仙太夫かという(奄美史談)。地内に城・里などの地名がある。「おもろさうし」第一三に「名瀬の祭神 有屋奇せ宣り人 瀬名波掟 追手 乞うて 走りやせ 伊津部祭神 名瀬の浦の八里」と謡われている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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