朝戸村(読み)あさとむら

日本歴史地名大系 「朝戸村」の解説

朝戸村
あさとむら

[現在地名]与論町朝戸

与論島のほぼ中央、麦屋むぎや村の北にある。北部かのう集落があるほか、大道袋・大赤堀などの地名がある。湧水地に恵まれたこともあって古い開発とされ、古里ぷるさとう中間なーまの親村であったという。琉球王国に属する以前の遺跡や島の英雄ニッチェーが地内の根津栄につちええで生れたという伝説などが残されている。享保内検の結果を示す天保(一八三〇―四四)頃の万帳(滝家文書)大水うぷみじ間切のうちとして「朝戸村」とみえ、家内数七三・人数三一三。


朝戸村
あさとうむら

[現在地名]喜界町大朝戸おおあさと

西目にしみい村の南に位置する。西目間切のうち。当地の新山家にはノロ祭具の祭衣・大扇・玉垂飾などが残されており、琉球王国からノロ叙任辞令書が与えられた際に王府から持帰ったものであろう。松尾まんのう山の松尾神社は寛永三年(一六二六)の創祀という。元禄五年(一六九二)の喜界島帳留(列朝制度)西目間切与人のとして「朝戸村」とみえる。享保一〇年(一七二五)中隈なんま先内さんにえの与人である永語が地内の泉の傍らに水神水天すいてん堂を建立、西目間切の村々では日照りが続くとここで雨乞を行った。


朝戸村
あさとむら

近世にあった村で、現名瀬市域の東部、伊津部いちぶ村の東に位置した。グスク跡があり、「おもろさうし」第一五に「朝戸掟 親御蒲 貢 積む 首里親国 又天口 親泊 那覇泊 親泊」と謡われている。万暦三五年(一六〇七)閏六月六日の琉球辞令書(大熊ノロ文書)に「なせまきりのあさと」とみえ、名瀬間切に属する当地の「おきて」(掟職)に「い志めもいてこく」が任じられている。「もい」は敬称。「てこく」は筆子とされる。同三七年「い志めもい」は「なせまきりのにしのさとぬし」(名瀬間切の西の里主)に転任している(同年二月一一日「琉球辞令書」同文書)。こうして「い志め」は筆子・掟・里主と変わっているが、これは昇任であった。


朝戸村
あさとむら

[現在地名]名瀬市朝戸

伊津部いちぶ村の南方にあった村。北部をおお川が東流、南からの朝戸川と合流する。古見こみ間切古見方のうちで、「大島私考」に古見方五ヵ村内として「朝戸村」とみえ、高六五石余、うち享保内検後の開地は一石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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