大阪の劇場。1956年に松竹によって道頓堀文楽座として建てられたが,松竹が文楽の経営を放棄して財団法人文楽協会が設立されたあとの63年8月に朝日座と改称した。収容人員1000名,鉄筋3階建ての近代劇場だが,もともと人形浄瑠璃のために設計されており,舞台の船底や電動で出入する太夫床など特殊な設備を有し,改称後も文楽の本拠として定期公演に使用され,文楽協会事務局も劇場内に置かれている。道頓堀の東端でほぼ昔の豊竹座の跡に位置するが,戦災前には現在地より数十m西に同名の劇場があった。この旧朝日座は江戸時代から続いた角丸の芝居の後身で1877年に改称,道頓堀五座の一つに数えられ明治後期に喜多村緑郎を中心とする,いわゆる第2次成美団が本拠地として活躍,新派劇の基礎を築いたことで知られる。また松竹の大阪進出の最初の拠点ともなったが,大正中期以降は映画の封切館として戦災を受けるまで存続した。
→人形浄瑠璃
執筆者:山田 庄一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…戦後にふたたび復興と再建の季節を迎えることとなった。再復興した劇場のほかに,54年には第1次俳優座劇場(客席401)が新劇専門の小劇場として,また文楽上演を考慮した道頓堀の朝日座(客席1000,1956),大阪の梅田コマ劇場(客席2044,1956),新宿コマ劇場(客席3000,1956),日生劇場(客席1340,1963),帝国劇場(客席1950,1966),国立劇場(客席,大劇場1746,小劇場630,1966),国立演芸場(客席300,1979),国立能楽堂(客席591,1983),国立文楽劇場(客席753,1984)などが新たに開場した。あわせて県民ホール,市・区民会館,公会堂などの多目的ホールが,全国的な規模でひろく設立されているところに,今日の特徴をみることができよう。…
…この劇場は45年の空襲で焼失,翌年再建されて55年まで公演を続けた。道頓堀に朝日座が建築された際,同劇場は人形浄瑠璃の公演に限って文楽座と名のった。だが,それも第1回公演の56年1月から63年7月までで,以後は朝日座に統一されたため,文楽座の名称は消滅した。…
※「朝日座」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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