喜多村緑郎
新派俳優。女形。東京生。名は六郎。日本橋の薬種商の子として生まれ、商業見習に出されたが、素人芝居から俳優の道に入る。道頓堀角座を本拠に「成美団」を結成、のち東京でも活躍し、伊井蓉峰・河合武雄と新派三頭目時代をつくる。人間国宝。昭和36年(1961)歿、89才。
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きたむら‐ろくろう〔‐ロクラウ〕【喜多村緑郎】
[1871~1961]新派俳優。東京の生まれ。本名、六郎。明治29年(1896)高田実らと成美団を結成。新派の写実的演技術の確立に努め、女形として活躍。主な舞台に「侠艶録」「滝の白糸」「婦系図」など。
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喜多村緑郎【きたむらろくろう】
新派俳優。本名六郎。東京生れ。伊井蓉峰のすすめで新派に入り,1896年大阪で成美団を結成して写実的な演技術の創造に励む。1906年東京に帰り,《侠艶録》の力枝で新派女方としての地位を固めた。《婦系図(おんなけいず)》《滝の白糸》(《義血侠血》)など泉鏡花の作品で好演,伊井,河合武雄とともに新派三巨頭をなし,新派劇の発展に寄与した。1955年人間国宝。
→関連項目婦系図|高田実|花柳章太郎|真山青果
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喜多村緑郎 きたむら-ろくろう
1871-1961 明治-昭和時代の舞台俳優。
明治4年7月23日生まれ。29年大阪で高田実らと成美団を結成。39年から東京の本郷座にうつり,「滝の白糸」「婦(おんな)系図」などで女方を演じて新派の写実芸を完成し,花柳(はなやぎ)章太郎らの後継者をそだてた。昭和23年芸術院会員,30年文化功労者,人間国宝。昭和36年5月16日死去。89歳。東京出身。本名は六郎。著作に「芸道礼讃」「喜多村緑郎日記」など。
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喜多村 緑郎

- 芸名
- 喜多村 緑郎
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1969/01/06
- 星座
- やぎ座
- 干支
- 酉年
- 血液型
- A
- 出身地
- 新潟県
- 身長
- 183cm
- 体重
- 65kg
- デビュー年
- 1988
- 職種
- タレント・俳優・女優
- プロフィール
- 1969年1月6日生まれ、新潟県出身。歌舞伎や舞台、ドラマなど幅広く活躍。主な出演作は、歌舞伎『スーパー歌舞伎「ヤマトタケル」』『桜姫東文章』『西コース「松竹大歌舞伎」』『第二十九回四国こんぴら歌舞伎大芝居』、舞台『リーディング「ヴェニスに死す」』『スーパー喜劇「かぐや姫」』『花柳章太郎没後五十年追悼 初春新派公演「大つごもり」』、BS『大岡越前2』『谷玄次郎捕物控』などその他多数。
- デビュー作
- 忠臣蔵
- 代表作品
- 歌舞伎『スーパー歌舞伎「ヤマトタケル」』(タケル、タケヒコ)(2008) / 歌舞伎『桜姫東文章』(清玄、権助)(2004) / 舞台『リーディング「ヴェニスに死す」』(2016)
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きたむらろくろう【喜多村緑郎】
1871‐1961(明治4‐昭和36)
新派俳優。本名六郎。東京に生まれた。素人芝居で知り合った伊井蓉峰にすすめられ,青柳捨三郎一座に参加,4年目に大阪で高田実らと成美団という名の一座を結成,写実的な芸風で,女形として河合武雄と対照的だったが,立役(たちやく)(男役)にもすぐれた役がある。新派の古典といわれる《不如帰(ほととぎす)》の浪子を初演,《婦系図(おんなけいず)》のお蔦,《日本橋》のお孝,《滝の白糸》などの女主人公の演技を完成した。
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きたむらろくろう【喜多村緑郎】
(1871~1961) 新派俳優。東京生まれ。本名、六郎。草創期の新派劇に写実的演技を確立し、女形に名演技を見せた。
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喜多村緑郎
きたむらろくろう
[生]明治4(1871).7.23. 東京
[没]1961.5.16. 東京
新派俳優。本名六郎。鶯亭金升に師事し,その雑俳仲間としろうと芝居をしたのが機となり,新派俳優を志した。諸座を転々としたのち,1896年9月,高田実らの大阪角座における成美団旗揚げに参加。 1900年6月,秋月桂太郎を誘って大阪朝日座に新演劇合同 (第2次成美団) を興し,以後の 10年間はもっぱら写実芸の錬磨に努め,新派を新派たらしめる素地を築いた。 1906年6月東京本郷座に戻り,『侠艶録』の演技で評判をとって名女方として活躍。『婦系図』のお蔦,『日本橋』のお孝,『滝の白糸』の白糸などをあたり役とし,鏡花役者ともいわれた。新派3頭目の一人。また,新派女方の後継者として花柳章太郎を育てた。 1955年には重要無形文化財保持者に認定された。文化功労者。著書に『わが芸談』などがある。
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喜多村緑郎
きたむらろくろう
(1871―1961)
新派俳優。本名六郎。東京・日本橋の生まれ。青年時代雑俳に凝り鶯亭金升(おうていきんしょう)に師事。1892年(明治25)伊井蓉峰(ようほう)の勧めで青柳捨三郎一座に加わり新派に入る。96年大阪の角座(かどざ)を本拠に高田実、秋月桂太郎、小織(さおり)桂一郎らと「成美団(せいびだん)」を結成し、これまでの壮士芝居の粗雑な演技からリアリズム劇術の創造を目ざした。1906年(明治39)帰京して本郷座に拠(よ)り、『侠艶録(きょうえんろく)』の高評で地位を固め、亭々生(真山青果(まやませいか))の新作や泉鏡花の『滝の白糸』『婦系図(おんなけいず)』『白鷺(しらさぎ)』『日本橋』などを演じて鏡花役者とよばれた。大正期以降は伊井・河合(武雄(たけお))とともに三頭目といわれ、新派女方(おんながた)芸を完成、また花柳(はなやぎ)章太郎らの後継者を育成した。48年(昭和23)芸術院会員、55年重要無形文化財保持者に認定されるとともに文化功労者となり、同年『婦系図・湯島境内』の2000回上演記念公演を行った。80歳を超えた晩年まで舞台を勤め、著書に『芸道礼讃(らいさん)』『わが芸談』『喜多村緑郎日記』がある。[菊池 明]
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