木下逸雲(読み)きのしたいつうん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「木下逸雲」の意味・わかりやすい解説

木下逸雲
きのしたいつうん

[生]寛政11(1799).長崎
[没]慶応2(1866)
江戸時代後期の南画家。名は相宰,字は公宰。通称は志雅之助。号は逸雲,物々子,養竹山人など。家職の乙名 (おとな) をつとめたが,のち隠居。絵は石崎融思に南蘋流を学び,来朝した江稼圃 (こうかほ) を慕い,明の董其昌 (とうきしょう) に私淑して一家をなし,生気のある作風で当時の長崎画壇の第一人者となる。主要作品『武陵桃源図』 (1855) ,『山水図』 (62) 。

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朝日日本歴史人物事典 「木下逸雲」の解説

木下逸雲

没年:慶応2.8(1866)
生年:寛政12(1800)
江戸後期の画家。長崎八幡町の乙名(町役人)の家に生まれる。名は相宰,字は公宰。別号は物々子,養竹山人など。兄の跡を継いで乙名となったが,30歳で辞職し,医業のかたわら画業に精進した。初め石崎融思に師事し,来日した清の画家江稼圃に南画を学び,さらに日中画蹟を臨模(模写)するなどして研鑽を積んだ。慶応2(1866)年8月,江戸からの帰途,航路で台風にあい遭難した。明,清の正統的な南宗画様式をほぼ忠実に模倣した作品が,長崎市立博物館などに多く所蔵されている。鉄翁祖門,三浦梧門と共に長崎三大文人画家と呼ばれる。

(佐藤康宏)

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百科事典マイペディア 「木下逸雲」の意味・わかりやすい解説

木下逸雲【きのしたいつうん】

長崎文人画派の代表的画家。名は相宰,字は公宰,逸雲は号。絵を石崎融思,のち清人江稼圃(こうかほ)に学び,さらに明末の南画家董其昌に私淑。潤いのある山水画を描く。
→関連項目長崎派

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「木下逸雲」の解説

木下逸雲 きのした-いつうん

1800-1866 江戸時代後期の画家。
寛政12年8月1日生まれ。肥前長崎の人。はじめ石崎融思(ゆうし)に師事,ついで来日した清(しん)(中国)の江稼圃(こう-かほ)に文人画をまなぶ。山水,花鳥画を得意とし,長崎文人画の三筆のひとりとされた。慶応2年8月江戸から船でかえる途中玄界灘で遭難し,行方不明になった。67歳。名は相宰。字(あざな)は公宰。

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367日誕生日大事典 「木下逸雲」の解説

木下逸雲 (きのしたいつうん)

生年月日:1800年8月1日
江戸時代後期の画家
1866年没

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