江稼圃(読み)こうかほ(英語表記)Jiāng Jià pǔ

改訂新版 世界大百科事典 「江稼圃」の意味・わかりやすい解説

江稼圃 (こうかほ)
Jiāng Jià pǔ

中国,清代の画家。江戸時代唯一の外国船寄港地であった長崎を中心に外来美術の影響もとに成立した長崎派画人の一人。名は大来,字は連山,稼圃はその号。浙江省杭州臨安の出身。1804年(文化1)来日し,以後たびたび渡航して版本に親しむほか,画を学ぶ方法のなかった日本文人画家を啓発した。1720年(享保5)来航した伊孚九(いふきゆう)と同じく,当時のどの正統的な画派にも属さぬ,やや形式的な山水画を描いた。
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百科事典マイペディア 「江稼圃」の意味・わかりやすい解説

江稼圃【こうかほ】

中国,清代の文人画家。生没年不詳。杭州臨安の人。書画をよくし,水墨山水が多い。1804年以降たびたび来日,木下逸雲らを指導し,江戸末期の文人画に大きな影響を与えた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「江稼圃」の解説

江稼圃 こう-かほ

?-? 清(しん)(中国)の画家。
文化元年(1804)以来,長崎にしばしば渡来菅井梅関(ばいかん)や木下逸雲,鉄翁(てっとう)祖門らに文人画をおしえた。大田南畝(なんぽ)らとも交遊があった。杭州出身。名は泰交。字(あざな)は大来。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「江稼圃」の意味・わかりやすい解説

江稼圃
こうかほ
Jiang Jia-pu

中国,清の文人画家。臨安 (浙江省) の人。名は大来,字は連山 (一説に名は泰交,字は大来) ,号は稼圃。文化1 (1804) 年以来しばしば来日し,長崎で文人画の指導を行い,日本画壇が南宗画系山水画を学び取る端緒となった。中国よりも日本において著名。主要作品『渓山飛泉図』。

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世界大百科事典(旧版)内の江稼圃の言及

【長崎派】より

…精緻な花鳥画の画風は南蘋に直接師事した熊代熊斐(ゆうひ)(1693‐1772)の門下の鶴亭(?‐1785),宋紫石(1716‐80)により近畿や関東に伝わり,江戸後期の画壇に写実主義の風潮がひろまる契機となった。(4)南宗画(文人画)派も伊孚九(いふきゆう),費漢源,江稼圃(こうかほ)らの来日中国画人に負うところが多い。長崎に来航する中国商船の乗員には,当時中国で流行していた南宗画をよくする者が多かったが,当時の日本の画人はまだ中国の南宗画に接する機会が少なく,彼らの影響により,池大雅や与謝蕪村らの日本南画が興った。…

※「江稼圃」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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