狩野尚信(読み)カノウナオノブ

デジタル大辞泉 「狩野尚信」の意味・読み・例文・類語

かのう‐なおのぶ〔‐なほのぶ〕【狩野尚信】

[1607~1650]江戸初期の画家京都の人。木挽町こびきちょう狩野家の祖。通称主馬探幽の弟。江戸に出て幕府御用絵師となった。

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精選版 日本国語大辞典 「狩野尚信」の意味・読み・例文・類語

かのう‐なおのぶ【狩野尚信】

  1. 江戸前期の画家。木挽町(こびきちょう)狩野家の祖。探幽の弟。京都に生まれ、父孝信の跡を継ぎ、幕府の御用絵師となる。画風情趣に富む。作品「瀟湘八景図屏風(しょうしょうはっけいずびょうぶ)」。慶長一二~慶安三年(一六〇七‐五〇

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改訂新版 世界大百科事典 「狩野尚信」の意味・わかりやすい解説

狩野尚信 (かのうなおのぶ)
生没年:1607-50(慶長12-慶安3)

江戸初期の画家。狩野孝信次男で探幽の弟。通称は主馬(しゆめ)。剃髪して自適斎と号す。父の没(1618)後,その跡目を継ぎ,のち江戸へ下り,1630年(寛永7)には幕府御用絵師となった。探幽とともに日光東照宮本殿や聖衆来迎寺障壁画を描く。彼が基礎を作った木挽町狩野は子の常信がさらに発展させ,この子孫江戸狩野の中でも最も繁栄した。尚信の画風には,兄探幽の創始した江戸狩野様式の影響を深く受けながらも,一種文人的な情趣が認められる。
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百科事典マイペディア 「狩野尚信」の意味・わかりやすい解説

狩野尚信【かのうなおのぶ】

江戸初期の狩野派の画家。自適斎と号す。狩野孝信の次男で,狩野探幽の弟。1630年江戸に下って幕府の御用絵師となり,探幽の障壁画制作を助けて活躍,探幽にないすぐれた感覚的素質をみせた。代表作に《瀟湘八景図屏風》がある。
→関連項目狩野常信

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「狩野尚信」の意味・わかりやすい解説

狩野尚信
かのうなおのぶ

[生]慶長12(1607).10.6. 京都
[没]慶安3(1650).4.7. 江戸
江戸時代初期の画家。狩野孝信の次男で通称主馬,のち自適斎と号した。父の死後は探幽,安信とともに光信の高弟興以 (こうい) の薫陶を受けた。寛永7 (1630) 年江戸に下り,竹川町屋敷を賜わって江戸幕府御用絵師となる。木挽町狩野の祖。同3年二条城,翌年大坂城の障壁画を制作。出京後もしばしば上洛して,知恩院や聖衆来迎寺,寛永内裏などに揮毫。濃彩装飾画よりも滋潤な水墨山水,人物画にすぐれた作品が多い。代表作は聖衆来迎寺の『商山四皓図』『竹林七賢図』襖絵,『瀟湘八景図屏風』 (東京国立博物館) 。

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朝日日本歴史人物事典 「狩野尚信」の解説

狩野尚信

没年:慶安3.4.7(1650.5.7)
生年:慶長12.10.6(1607.11.25)
江戸前期の画家。狩野孝信の次男。山城国(京都府)に生まれる。通称は主馬。剃髪して自適斎と号した。寛永7(1630)年江戸に召され竹川町に屋敷を拝領し,幕府御用絵師木挽町狩野家の基礎を築く。兄探幽らと共に二条城(1626),内裏(1641,42),聖衆来迎寺客殿(1642)などの襖絵を制作。絵は探幽の影響を受けるが,余白と墨のにじみを生かした叙情的な墨画に独自の画境を開く。最期に関しては失踪説もある。代表作はほかに「瀟湘八景図屏風」(東京国立博物館蔵),「小督・子猷訪戴図屏風」(出光美術館蔵)。<参考文献>田島志一編『東洋美術大観』5巻

(仲町啓子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「狩野尚信」の解説

狩野尚信 かのう-なおのぶ

1607-1650 江戸時代前期の画家。
慶長12年10月6日生まれ。狩野孝信の次男。父の跡をつぐ。寛永7年(1630)江戸にでて幕府奥絵師となり,木挽(こびき)町狩野家をひらく。二条城,御所などの障壁画制作に参加した。代表作に聖衆来迎寺客殿の襖絵「竹林の七賢図」。慶安3年4月7日死去。44歳。京都出身。通称は主馬(しゅめ)。号は自適斎。

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367日誕生日大事典 「狩野尚信」の解説

狩野尚信 (かのうなおのぶ)

生年月日:1607年10月6日
江戸時代前期の画家
1650年没

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世界大百科事典(旧版)内の狩野尚信の言及

【狩野派】より

…室町中期から明治初期まで続いた,日本画の最も代表的な流派。15世紀中ごろに室町幕府の御用絵師的な地位についた狩野正信を始祖とする。正信は俗人の専門画家でやまと絵と漢画の両方を手がけ,とくに漢画において時流に即してその内容を平明なものにした。流派としての基礎を築いたのは正信の子の元信である。漢画の表現力にやまと絵の彩色を加えた明快で装飾的な画面は,当時の好みを反映させたものであり,また工房を組織しての共同制作は数多い障壁画制作にかなうものであった。…

※「狩野尚信」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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