木越(読み)きごし

精選版 日本国語大辞典 「木越」の意味・読み・例文・類語

きごし【木越】

  1. 姓氏一つ

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日本歴史地名大系 「木越」の解説

木越
きごし

現木越町一帯に比定され、中世倉月くらつき庄の内。戦国期には寺内町を形成した。暦応四年(一三四一)八月七日の摂津親秀譲状(美吉文書)に嫡女子幸玉分として「加賀倉月庄内木越村」、西山穢土えど(現京都市西京区西芳寺)分として「木越村千得名壱町 月峯弐町 善遵田弐町 松尾田陸段坪西山在之」とみえる。穢土寺領の月峯以下が木越村内の土地か否かは不明。親秀・能直と相伝した倉月庄はいったん摂津の手を離れたとみえ、至徳四年(一三八七)六月一五日の斯波義将施行状(同文書)によれば「中山前中納言恩給地」を除く地が能直の子能秀に還補されており、当地岩方いわかたとともに中山家領に属していた。「薩戒記」応永三三年(一四二六)九月三日条に中山定親が雑色を「賀州木越・岩方両村□」に下向させたことがみえる。また「実隆公記」などによれば、中山宣親・康親・孝親の三代にわたって、明応七年(一四九八)九月一〇日以降度々加賀へ下向し、直務支配に努めたことが知られる。享禄二年(一五二九)二月四日には「光徳寺内茶々」、同三年五月一三日には「光琳寺慶祐」が、下向中の中山康親の袖判を得てそれぞれ「孫□郎半名」・案主名三分二の名主職に補任されており、元亀三年(一五七二)には一王丸之別相田を買得した「禰布忠左衛門尉」、天正二年(一五七四)には高桑源七と高松某が二郎太郎名と藤三名内の買得別相田の、また光琳こうりん寺が二郎太郎名の名主職に補任されている(名主職補任状案など)

天正八年閏三月三〇日の織田信長書状(長文書)に「賀州凶徒等、過半討果候段、心地能候、然者木越落居以後」とあり、当地が織田軍による北加賀攻略の主戦場となったことが知られる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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