本因坊秀甫(読み)ほんいんぼうしゅうほ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「本因坊秀甫」の意味・わかりやすい解説

本因坊秀甫
ほんいんぼうしゅうほ

[生]天保9(1838).江戸
[没]1886.10.
囲碁準名人。本名村瀬秀甫,幼名彌吉。 14世本因坊秀和門下。文久2 (1862) 年,秀和の跡目秀策が没し,再跡目になるはずであったが,丈和未亡人の干渉で果さず,上手 (7段) に進められたのみであった。 1879年方円社創立に際し,首領と仰がれたが,家元側と対立して本因坊家から段位を剥奪された。 80年研究会たる方円社の組織を改めて免状を発行する新興棋院とし,みずから社長 (初代) となった。 84年,本因坊秀栄和解。 86年7月,秀栄から本因坊を譲られて 18世本因坊秀甫となったが,10月に急逝。本因坊の名で対局した譜は土屋姓に戻った秀栄との1局しかない。

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朝日日本歴史人物事典 「本因坊秀甫」の解説

本因坊秀甫

没年:明治19.10.14(1886)
生年:天保9(1838)
明治期の囲碁棋士,18世本因坊。江戸の上野車坂下の生まれ。本姓村瀬,幼名弥吉。本因坊丈策,秀和に師事,嘉永1(1848)年初段,秀甫と改名。文久1(1861)年六段に進み,秀策と並んで坊門の竜虎といわれた。明治維新前後の時代の急変の中で坊門との確執もあり,明治12(1879)年中川亀三郎らと囲碁結社「方円社」を設立,初代社長となった。19年,本因坊秀栄と和解が成立,八段を免許されて18世本因坊となった。その3カ月後に急逝。<著作>『方円新法』<参考文献>林海峰『秀甫』(日本囲碁大系)

(谷口牧夫)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「本因坊秀甫」の解説

本因坊秀甫 ほんいんぼう-しゅうほ

1838-1886 幕末-明治時代の囲碁棋士。
天保(てんぽう)9年生まれ。江戸上野車坂下の職人の子。13世本因坊丈策,14世秀和の弟子。秀和の跡目となれず,明治12年中川亀三郎らと方円社を結成し初代社長となり,坊門と対立した。19年17世本因坊秀栄と和解,8段をおくられ18世をゆずられたが,同年10月14日急死した。49歳。姓は村瀬。通称は弥吉。

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