方円社(読み)ほうえんしゃ

改訂新版 世界大百科事典 「方円社」の意味・わかりやすい解説

方円社 (ほうえんしゃ)

囲碁研究会。1879年4月,村瀬秀甫中川亀三郎,小林鉄次郎本因坊,林,安井家元と計って結成した。しかし同年9月,家元が秀甫,中川らを破門して分裂したため,翌80年秀甫が社長となって新興棋院として再発足し,新たに家元と関係なく段位制を施行することを東京府知事に届け出た。83年級位制に転換したが,93年段位制に戻った。86年秀甫は17世本因坊秀栄と和解し,18世本因坊を譲られた。ここに方円社と本因坊は一本化し,碁界の統一が実現したが,秀甫が3ヵ月後に急死したため,すべて御破算となった。明治20年代から30年代は再び本因坊となって19世を名乗る秀栄の時代であった。その間,方円社は中川亀三郎,巌埼健造が2代,3代社長となってわずかに対抗していた。その後4代社長に2代目中川亀三郎,さらに広瀬平治郎,岩佐銈と継いだが,もはや碁界は小組織のよく動かせる時代ではなくなっていた。1924年,碁界大合同の主流となり,日本棋院へ発展的解消をとげた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「方円社」の意味・わかりやすい解説

方円社
ほうえんしゃ

明治,大正期の囲碁結社。日本棋院前身。 1879年4月,中川亀三郎,小林鉄次郎らの有志が研究会の組織設立を呼びかけ,村瀬秀甫 (のちに 18世本因坊) を中心棋院四家も参加する形で成立したが,同年9月序列問題で割れ,家元側は退会,免状剥奪の挙に出た。 80年5月方円社はみずから段位を呼称し,7月秀甫を社長に研究会から新興棋院に組織を変えた。機関誌『囲棋新報』は 79年発刊当初から 1924年まで続いた。社長は秀甫のあと2代中川,3代巌埼健造,4代中川 (中川の2代目,旧名石井千治) ,5代広瀬平治郎,6代岩佐けい。 23年1月,本因坊家と合同して中央棋院を設立したが,4月に分裂して方円社に復し,24年5月坊門を中心とした中央棋院や稗聖会 (はいせいかい) と合同して日本棋院が創立された。

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百科事典マイペディア 「方円社」の意味・わかりやすい解説

方円社【ほうえんしゃ】

囲碁の研究会。1879年,村瀬秀甫7段(18世本因坊秀甫)を初代社長とし,中川亀三郎6段らが中心となって創立。明治維新後の衰微していた囲碁に復興機運を与え,1924年合併により日本棋院となるまで,本因坊門と方円社の2派で碁界をリードした。
→関連項目本因坊秀哉

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世界大百科事典(旧版)内の方円社の言及

【碁】より

…幕府の崩壊により家元は禄を離れ,碁界にとっての苦難の道が始まる。
[方円社から日本棋院へ]
 明治維新後の新しい波は秀策の弟弟子村瀬秀甫によって起こされた。家元制を否定する組織〈方円社〉は一般社会への碁の普及を図り,雑誌《囲棋新報》(1879‐1924)を発行するなど時流にのって発展した。…

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