本宮寺跡・金蔵寺(読み)ほんぐうじあと・こんぞうじ

日本歴史地名大系 「本宮寺跡・金蔵寺」の解説

本宮寺跡・金蔵寺
ほんぐうじあと・こんぞうじ

[現在地名]勝本町 新城西触

金蔵寺は神岳山と号し、真言宗智山派。本尊釈迦如来。承安二年(一一七二)重盛神岳かみだけ三社権現の別当寺として創建した神岳山明星院本宮寺を前身とすると伝え、開山は重盛の護持僧の賢呼という(「神岳三所大権現縁起」金蔵寺文書)。本宮寺は天台宗寺院で、本宮村の古坊に建立されたが、神岳の西原にしばるに移転、大風で堂宇が破壊されたため神岳の南の川端田かわばただに移ったという(壱岐名勝図誌)。寺基を継ぐ金蔵寺に平安期作とされる木造如来形坐像がある。元弘―建武年間(一三三一―三八)の争乱で比叡山を追われた僧が本宮寺を頼って来住、六ヵ坊を営むが、南北朝期の内乱で衰退を余儀なくされると真言僧が復興にあたったという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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