本郷埴輪窯跡(読み)ほんごうはにわようせき

日本歴史地名大系 「本郷埴輪窯跡」の解説

本郷埴輪窯跡
ほんごうはにわようせき

[現在地名]藤岡市本郷 塚原

藤岡台地の南東端に位置する。この斜面一〇〇メートルほどの間に四メートルほどの間隔をおいて三〇基余の埴輪窯跡が存在する。そのうち二基が発掘調査されている。窯体は台地基盤の粘土層を掘りこんでつくられ、規模は一つは長さ九・六メートル、幅一・八メートル、一〇度から三〇度の傾斜をもつ。壁や窯底は残りのよい奥部でも強く焼け、天井は崩落していた。前方部はラッパ状に開き、灰原に続く。下層は埴輪片が堆積していた。半地下式の登窯様式をとる。他の一基もほぼ同型式で、規模は一〇・三メートル、幅二メートルで破損度は前述のものより激しい。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「本郷埴輪窯跡」の解説

ほんごうはにわかまあと【本郷埴輪窯跡】


群馬県藤岡市本郷にある窯跡。市街地南側の、神流(かんな)川に面する河岸段丘の傾斜面に所在する埴輪を焼いた窯跡。この地は土師器(はじき)や埴輪を作った土師部(はじべ)と呼ばれる職業集団が住みついた土師郷とみられ、近くには祖先を祀った土師神社がある。窯跡の存在は明治末年に確認され保護されてきたが、1943年(昭和18)に学術的な発掘がなされ、窯は段丘崖に沿って4m間隔に十数基認められたが、そのうち2基を調査した結果、それらは段丘崖を利用した登り窯形式で、全長10m。ラッパ状に開いた6mの通風路と2mの燃焼部に分かれ、内部は約30度傾斜した円筒状で、壁や床面は粘土が張られているなど、わが国上代における窯の構造を示していることなどから、1944年(昭和19)に国の史跡に指定された。この窯は6世紀~7世紀前半ごろのものと推定されている。JR八高線群馬藤岡駅から徒歩約30分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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