改訂新版 世界大百科事典 「李済」の意味・わかりやすい解説
李済 (りさい)
Lǐ Jì
生没年:1896-1979
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…中国の考古学者。〈りせい〉とも読む。北京の清華大学を終え,ハーバード大学で学位を得た。1928年中央研究院考古組主任として迎えられ,河南省安陽の殷墟の発掘を37年まで15回にわたり行った。また,山西省西陰村,山東省城子崖の調査を行い,日中戦争中は雲南省昆明,四川省李荘で,董作賓らと協力して研究を続けた。49年,中央研究院とともに台湾の台北に移り,台湾大学に人類学研究所を開くとともに,安陽発掘の報告に専念した。…
…彼らが漢族とも漢人とも呼ばれていることは周知のことである。かつて李済は《漢民族の形成》という著書を著しているが,まさに漢民族と汎称される民族の構成はきわめて煩雑であり,その言葉の持つ意味のとらえ方も多様である。ただ漢民族といわれる集団がどのようにして形成されてきたかということを推測してみると,おそらく往古より肥沃な黄河の中・下流域地方を中心とする華北の地に,それぞれ系統を異にした諸民族が,おのおの固有の文化を持ち寄り凝集し,相互に接触を交わし,その異文化の集結によって生じる文化摩擦のエネルギーが燃焼して,おのずと相互の文化が融合し,あるいは変容をとげて,特異な高文化を作り出したものに相違ない。…
…中国山西省夏県にある新石器時代仰韶文化の遺跡。1926年清華研究院の李済らによって調査された。遺跡は東西560m,南北800mにわたる。…
※「李済」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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