城子崖遺跡(読み)じょうしがいいせき(その他表記)Chéng zǐ yá yí zhǐ

改訂新版 世界大百科事典 「城子崖遺跡」の意味・わかりやすい解説

城子崖遺跡 (じょうしがいいせき)
Chéng zǐ yá yí zhǐ

中国,山東省歴城県竜山鎮にある新石器時代の遺跡。泰山山脈の北斜面の黄土地帯川辺台地上にある。1930年に李済,董作賓,郭宝鈞,呉金鼎らが山東古蹟研究会を創設し,30,31年に発掘を行った。当時,仰韶(ぎようしよう)文化と安陽殷墟の空白を埋める遺跡として注目され,竜山文化の名称のおこりとなった。遺跡は上・下2層からなり,上層は灰陶窯址を出土する戦国時代の文化層で,下層黒陶を特徴とする竜山文化の層である。下層の土器は泥質・砂質を胎質とし,黒陶,灰陶,黄陶からなる。黒陶には杯,鼎(てい),甗(げん),壺,盆,豆(とう),盤などがあり,ろくろ製である。器の胴部に凹線や隆起線文をめぐらし,鼎,盆の底部に三足を付け,鬹(き)の頸部を立ち上がらせているのは,山東竜山文化の特徴である。黄陶の器形は鬹だけに限られる。灰陶にみられる方格文や横条痕のたたきは,河南竜山文化との関係を示すものである。生活用具には,円柱状石斧,扁平有孔石斧,片刃石斧,石鑿などの工具,石鏟,石鎌,直線刃半月形庖丁,貝鎌,貝庖丁などの農具,石鏃,骨鏃などの狩猟具や骨針,骨錐などがある。石器と並んで骨角器が多い。なかでも,牛・鹿の肩甲骨を利用した卜骨はこの期における最初の出土例として注目された。下層には,南北480m,東西330mの版築城壁が出土しているが,出土状態からして,竜山文化でもおそい時期のものであるらしい。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「城子崖遺跡」の意味・わかりやすい解説

城子崖遺跡
じょうしがいいせき
Cheng-zi-ya

中国山東省歴城県竜山鎮城子崖にある竜山文化標準遺跡。1930~31年にかけて国立中央研究院歴史語言研究所の李済を中心に董作賓,郭宝鈞,梁思永,呉金鼎,王湘らが調査を行なった。城子崖は泰山山脈の北斜面の黄土地帯で,武原河の東の台地にある。文化層は上下 2層に分かれ,上層は期に比定され,この時期に属する城壁が発見されている。下層出土の土器には粗質の縄蓆文土器と光沢のある黒陶が存在し,特色のある黒陶が学界の注目を集めた。土器の器形には,鉢,盤,杯,などがあり,石器,骨角器も多数出土している。この成果によって,城子崖下層文化に類似する文化を竜山文化と呼ぶようになったが,中華人民共和国成立後は,城子崖を標準とする山東方面の竜山文化を山東(典型的)竜山文化と名づけ,中原の竜山文化と区別している。

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百科事典マイペディア 「城子崖遺跡」の意味・わかりやすい解説

城子崖遺跡【じょうしがいいせき】

中国,山東省歴城県竜山鎮にある竜山文化の標準遺跡。遺跡は武原河沖積地の台地に位置する。文化層は2層に分けられ,上層からは灰陶,下層からは黒陶が出土した。この下層が竜山文化にあたる。黒陶の多くは器壁が薄く,ろくろを使用しており,すぐれたものが多い。磨製の石器類も多く,その他,貝製の庖丁,鋸(のこぎり),鎌,獣骨では,豚・犬・馬・牛・羊などの家畜,鹿の肩甲骨を用いた卜骨(ぼっこつ)も出土した。また,土塁をもつ環濠集落としても知られる。城子崖遺跡を標準とする山東の竜山文化は〈山東竜山文化〉と呼ばれ,中原の竜山文化とは区別されている。
→関連項目李済

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