村上直次郎(読み)ムラカミ ナオジロウ

20世紀日本人名事典 「村上直次郎」の解説

村上 直次郎
ムラカミ ナオジロウ

明治〜昭和期の歴史学者 上智大学学長。



生年
慶応4年2月4日(1868年)

没年
昭和41(1966)年9月17日

出生地
豊後国(大分県)

学歴〔年〕
帝国大学文科大学(現・東大文学部)史学科〔明治28年〕卒

学位〔年〕
文学博士〔大正10年〕

経歴
大学院に進み、明治32年スペイン、イタリア、オランダに留学。33年東京外国語学校教授、35年帰国。36年東京帝大史料編纂員兼務、41年外語校長、大正7年東京音楽学校長、昭和3年台北帝大教授、10年退官。15〜34年上智大教授、21〜28年学長。その間18年帝国学士院会員。著書に「貿易史上の平戸」「日本と比律賓」「異国叢書 続異国叢書」、史料「コックス日記」、翻訳に「耶蘇会士日本通信」「長崎オランダ商館の日記」(全3巻)などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「村上直次郎」の意味・わかりやすい解説

村上直次郎
むらかみなおじろう

[生]慶応4(1868).2.4. 豊後,森
[没]1966.9.17. 藤沢
明治~昭和の歴史学者。日欧交渉史専攻。同志社大学卒業。 1895年東京大学卒業,大学院で研究してのち渡欧。 1902年帰国後,東京外国語学校教授,東京音楽学校校長,台北帝国大学教授,上智大学教授を経て第2次世界大戦後8年間同学長。この間長く東京大学史料編纂官を兼ね,21年文学博士,32年オランダより勲章を受け,43年帝国学士院会員。『貿易史上の平戸』『異国叢書』その他多くの著訳編書,論文がある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「村上直次郎」の解説

村上直次郎 むらかみ-なおじろう

1868-1966 明治-昭和時代の日本史学者。
慶応4年2月4日生まれ。日本関係の外国史料を収集,翻訳し,日欧通交史の研究分野をひらいた。東京帝大史料編纂(へんさん)官,東京外国語学校校長などをつとめ,昭和3年台北帝大教授。15年上智大教授,のち総長。昭和41年9月17日死去。98歳。豊後(ぶんご)(大分県)出身。帝国大学卒。編訳に「長崎オランダ商館の日記」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「村上直次郎」の解説

村上 直次郎 (むらかみ なおじろう)

生年月日:1868年2月4日
明治時代-昭和時代の日本史学者
1966年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の村上直次郎の言及

【イエズス会日本年報】より

…ポルトガル語で作成された年報はさらに削除訂正ののち印刷され,また各国語に翻訳・抄訳されて公刊された。村上直次郎により1581‐87年度分までが《耶蘇会の日本年報》として邦訳され,のち《新異国叢書》に収められた。他の年度分の邦訳も若干あるが,原文書からのものは少ない。…

※「村上直次郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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