村岡良弼(読み)ムラオカ リョウスケ

20世紀日本人名事典 「村岡良弼」の解説

村岡 良弼
ムラオカ リョウスケ

明治・大正期の地誌学者,法制学者



生年
弘化2年2月10日(1845年)

没年
大正6(1917)年1月4日

出生地
下総国香取郡中村(千葉県多古町)

旧姓(旧名)
渋谷

別名
号=村岡 檪斎(ムラオカ レキサイ)

学歴〔年〕
昌平黌明法科〔明治2年〕卒

主な受賞名〔年〕
帝国学士院恩賜賞〔大正2年〕「続日本後紀纂詁」

経歴
明治初期の法制整備、帝室制度史料等の編纂に尽力した。14歳で江戸に出て水本樹堂に学び、書は鈴木成育についた。明治2年昌平黌に入り和漢洋の制度律令を研究。同年刑部省に徴されて新律綱領編集にあたる傍ら岡松甕谷箕作麟祥の塾で法令の研究を行う。25年まで司法省参事院宮内省にあって法制整備に尽力し、大政紀要その他の編集にも関与した。25年退官後は独力で日本地誌の編纂に努め、「大日本史」国郡志の纂訂六国史校訂に尽力した。日本地誌学の祖とされ、著書に「日本地理志料」(全72巻)や「続日本後紀纂詁」(全20巻)などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「村岡良弼」の解説

村岡良弼

没年:大正6.1.4(1917)
生年:弘化2.2.10(1845.3.17)
明治大正期の法制官僚,地誌学者。本姓は渋谷氏。号檪斎。下総国香取郡中村(千葉県香取郡多古町)に生まれる。明治2(1869)年に昌平黌明法科を経て刑部省に勤務,次いで司法省2等属,参事院議官補,宮内省御用掛などを歴任して,立法と制度史調査の実務に従事し井上毅に重用された。25年に退官してからは,独力で日本地誌の編纂に尽力し,『大日本史』国郡志の纂訂に努力し,次いで六国史の校訂と逸文収集に励んだ。学風は旧式であるが,綿密で発見があり,紀行文に優れ,和歌・雅楽をよくした。<著作>『日本地理志料』『続日本後紀纂詁』

(秋元信英)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「村岡良弼」の解説

村岡良弼 むらおか-りょうすけ

1845-1917 明治-大正時代の法制学者,地理学者
弘化(こうか)2年2月10日生まれ。昌平黌(しょうへいこう)の明法(みょうぼう)科にまなび,司法省,宮内省などで初期の法制整備につとめる。退官後は地誌,国史を研究,「日本地理志料」72巻,「続(しょく)日本後紀纂詁」20巻(学士院恩賜賞)などをあらわした。大正6年1月4日死去。73歳。下総(しもうさ)香取郡(千葉県)出身。旧姓は渋谷。字(あざな)は賚卿。号は櫟斎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「村岡良弼」の解説

村岡 良弼 (むらおか りょうすけ)

生年月日:1845年2月10日
明治時代;大正時代の官僚;地誌学者。宮内省御用掛
1917年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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