東をどり(読み)あずまおどり

共同通信ニュース用語解説 「東をどり」の解説

東をどり

新橋芸者が新橋演舞場一堂にそろい、稽古成果を見せる舞台近年は年に1度開催されている。第1回「東をどり」は1925(大正14)年に開場した新橋演舞場のこけら落としとして開かれた。戦後は当時の一流作家による書き下ろしの舞踊劇を披露し、人気を集めた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「東をどり」の意味・わかりやすい解説

東をどり
あずまおどり

1925年(大正14)4月落成の東京・新橋演舞場で始まった新橋芸妓(げいぎ)連の舞踊会。春秋2回を原則とした。京都の「都をどり」に倣い明治末から行われてきた「東(あずま)会」の流れをくんでいる。1941年(昭和16)以後は太平洋戦争中のため休演し、1948年(昭和23)に復活。男役のまり千代(本名佐野キミ江。1908―1996)のようなスター性のある芸妓が著名作家の舞踊劇を演じて人気を集め、1951年からの8年間は春秋、各25日間盛況を極めた。1959年からはおおむね春だけで、のち期間も短縮され、1982年からは5月末に4日間行われている。

[如月青子]

『新橋演舞場株式会社編『新橋と演舞場の七十年』(1996・新橋演舞場)』

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改訂新版 世界大百科事典 「東をどり」の意味・わかりやすい解説

東をどり (あずまおどり)

花街舞踊。東京新橋の芸妓連が京都祇園の都をどりに対抗して始めた芸妓舞踊。1925年落成した新橋演舞場の名物として企画され,春秋2回公演されてきた。第2次大戦後は特に隆盛をきわめ,谷崎潤一郎,北条秀司八木隆一郎等の舞踊劇が続々と上演され,戦後花街舞踊の先駆をなした。振付は2世花柳寿輔,2世西川鯉三郎,初世尾上菊之丞等で,ゆみ,まり千代,小くになどのスターを生んだ。
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