ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
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劇場名。1923年(大正12)に東京芸妓(げいぎ)の技芸の発表の場として計画され、新橋芸妓組合が中心になって木挽(こびき)町(現中央区銀座6丁目)に建設された。1925年4月1日第1回「東(あずま)をどり」で開場した。歌舞伎(かぶき)、新国劇、曽我廼家(そがのや)劇などを上演したが、40年(昭和15)以来松竹と興行契約を結び、松竹の主要劇場として種々の演劇を興行した。1945年に戦災で内部を焼失したが、復旧し48年(昭和23)再開場。1979年新築のため閉館、82年4月ビルの中の近代的劇場(客席1~3階、客席数1428)として再開場した。
[水落 潔]
…
[劇場の多様化]
震災後に,復興または新しく建設されたおもな劇場は,24年に本郷座・演伎座・松竹座・市村座・帝国劇場・邦楽座に前記の築地小劇場,25年の歌舞伎座とつづく。25年に新たに新橋演舞場,30年に大阪四ッ橋の文楽座や東京劇場,32年に大阪歌舞伎座,33年に有楽町の日本劇場,34年に東京宝塚劇場,35年に有楽座,37年に浅草の国際劇場などが次々に竣工した。大正から昭和へかけて,歌舞伎・新派・新国劇・歌劇・バレエ・新劇・文楽や舞踊などが,上記の劇場はもとより巡業先の各地の劇場やホールで,撩乱たる多様化と繁栄の時代を迎えたのである。…
…やがて,花柳は北条秀司の《女将》《太夫(こつたい)さん》《京舞》などの秀作や川口松太郎《銀座馬鹿》などの銀座シリーズで好評を得るようになり,水谷も中野実(1901‐73)の《息子の青春》《明日の幸福》,川口松太郎《皇女和の宮》,三島由紀夫《鹿鳴館》などに自分の芸境を発見するようになっていった。 こうして,劇団新派は戦後は東京築地の新橋演舞場をホームグラウンドに安定した上演活動を続け,阿部洋子,京塚昌子,緋多景子,花柳喜章,金田竜之介,菅原謙次,安井昌二,英つや子,水谷良重,波野(のち波乃)久里子ら新しく加わった俳優も成長していくが,61年に喜多村が世を去り,65年に花柳が没したころから,かげりの色が濃くなってきた。一つの原因になったのは看板女優水谷の度重なる病気休演であり,また新派劇を支えてきた観客層自体の高齢化という問題もあった。…
※「新橋演舞場」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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