東分村(読み)ひがしぶんむら

日本歴史地名大系 「東分村」の解説

東分村
ひがしぶんむら

[現在地名]丸亀市飯野町東分いいのちようひがしぶん綾歌あやうた宇多津うたづ町東分

北のあおノ山、南の飯野山山麓および両山に挟まれた地に位置する。東端大束だいそく川左岸、西は西分村、東は宇多津村(現宇多津町)。同村からの金毘羅参詣道が通る。寛永国絵図にみえる飯野山と青ノ山に挟まれた鵜足うた池下いけのした吉岡よしおかの地を、寛永一九年(一六四二)の高松藩成立後東分村としたと考えられる。宝暦一一年(一七六一)の高一千二八九石余・反別一一九町五反余、家数三〇二・人数一千一八四、馬一六・牛五六、池一七、御林一・百姓自林六(「巡見使案内控帳」漆原文書)。寛政年間(一七八九―一八〇一)溜池は長大夫池(水掛高一五八石余)やなぎ(二四四石余)しん(一四八石余)など一六(池泉合符録)


東分村
ひがしぶんむら

[現在地名]綾上町東分

山田上やまだかみ村の南に位置し、北はあや川が北西流して限り、西長柄にしながら(綾川支流)が東・南を限り、西は西分にしぶん村。村内中央部を綾川支流の菖蒲しようぶ川が北流する。南部は標高二八〇メートル余の山地で、北部にかけては丘陵地である。慶長一四年(一六〇九)の生駒一正預ケ状(生駒家宝簡集)で、「山田東分」の高一五石が尾池玄蕃に預けられている。寛永国絵図には村名はみえないが、当村内の集落名「山田奥谷」がみえる。寛永一七年(一六四〇)の生駒領高覚帳では「山田東分」として高四七〇石余。天保九年(一八三八)の御領分明細記では高八四九石余。天保郷帳には「菖蒲村」の朱の添書がある。これは四歩市しぶいち池の北の谷川筋に位置し、菖蒲が生茂っていた地であったと伝え、当村内の字名として残っている。


東分村
ひがしぶんむら

[現在地名]宇多津町東分、丸亀市飯野町いいのちよう東分

宇多津村の南に位置し、本村ほんむら鍋谷なべやの二集落がある。明治二三年(一八九〇)町村制施行により鵜足うた飯野村大字となり、昭和三〇年(一九五五)飯野村は丸亀市に編入されたが、そのとき大字東分の一部が宇多津町に編入、同三四年宇多津町東分の一部が丸亀市に編入された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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