日本大百科全書(ニッポニカ) 「東征大総督」の意味・わかりやすい解説
東征大総督
とうせいだいそうとく
戊辰(ぼしん)戦争期の臨時軍事官。鳥羽(とば)・伏見(ふしみ)の戦いの翌日、1868年(慶応4)正月4日、朝廷は嘉彰(よしあき)親王を征討大将軍とし、ついで山陰、東海、東山、北陸の諸道、中国、四国、九州に鎮撫(ちんぶ)総督を置いた。関東への進軍が日程にあがった2月、東海、東山、北陸の鎮撫総督は先鋒(せんぽう)総督兼鎮撫使となり、その統轄官として東征大総督が新設された。総督は総裁有栖川宮熾仁(ありすがわのみやたるひと)親王、参謀には西郷隆盛(たかもり)、板垣退助が任命された。戦争指導、平定地の管理、徳川氏ならびに降伏諸藩の処分などに大きな力を発揮。戊辰戦争終了後の同年11月2日に解散した。
[井上 勲]