日本歴史地名大系 「東湖八坂神社」の解説
東湖八坂神社
とうこやさかじんじや
宝永元年(一七〇四)の「覚」(国典類抄)に「舟越天王」とあり、天保三年(一八三二)の牛頭天王御祭式目録には「牛頭天王」、嘉永期(一八四八―五四)の「絹篩」には「牛頭天王宮」、年次不詳の秋田郡村々神社調(秋田県庁蔵)には「天王堂」とある。明治に至り、東湖神社、東湖八坂社と社名を改め、のち現社名となる。
「秋田風土記」に「天王社 上の御普請なり 祭礼料壱石五斗、下三郡、川辺・秋田・山本配免許。出羽郡司小野良実建之、素盞尊を勧請、尊の御衣、宝刀と云、元トウコノ宮、後又杉の宮云、其後今の所ニ遷す」とあるが、縁起では坂上田村麻呂の勧請とも伝える。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報