天王町(読み)てんのうまち

日本歴史地名大系 「天王町」の解説

天王町
てんのうまち

面積:四〇・三一平方キロ(境界未定)

南秋田郡西南に位置し、南は秋田市金足かなあし下新城しもしんじよう地区と接し、西北船越ふなこし水道を隔てて男鹿おが船越と相対する。東は水田地帯で八郎潟残存湖を控え、西は砂丘地で日本海に至る。日本海と八郎潟に挟まれ南北に細長く展開する町で、南北に三本の主要砂丘と二本の小砂丘が走り、砂丘間に低湿地の水田が開かれている。西側最大の砂丘は秋田市中野なかの浜から江川えがわまで延び、砂防林が密生している。第二砂丘は追分おいわけ出戸でと蒲沼かばぬまから天王地区まで、第三砂丘は追分北野きたの鶴沼台つるぬまだい二田ふただ児玉こだま・天王へと続く。第四砂丘は三枚橋下さんまいばししたもも木台きだい羽立はだち塩口しおぐち渋谷しぶや(不動台)に至る。


天王町
てんのうちよう

[現在地名]伊丹市みやまえ一丁目・同三丁目

伊丹町を構成する二七ヵ町の一つ。伊丹郷町の北端、猪名野いなの神社の南側に位置する。常盤ときわ町との間には北少路きたしようじ村があり伊丹町の飛地になる。中山なかやま(現宝塚市)有馬ありま(現神戸市北区)への道筋の両側町。町名は猪名野神社の旧名牛頭天王社に由来し、同社の縁起に「枝葉栄える天王松」というくだりがある(有岡古続語)


天王町
てんのうちよう

[現在地名]水口町八光はつこう八坂やさか

河内かわち町の東、東海道を挟んだ両側町。町東端には南北に水口岡山みなくちおかやま城の堀の一部であったと伝える馬渡まわたり川の溝が通り、これに架かる東海道の橋を石橋いしばしとよび、当地の通称ともなった。町名は町の北側に鎮座する八坂神社(旧天王社)にちなむと思われ、慶長七年(一六〇二)の水口美濃部村検地帳写(水口宿文書)にみえる。おそらく天王社を産土神とする集落が町場化したものであろう。延宝七年地子赦免帳では居屋敷一四・明屋敷一、屋敷地の間口は最大一五間一尺余・最小三間五尺余。


天王町
てんのうちよう

[現在地名]水戸市天王町・備前びぜん町・いずみ町一―二丁目

備前町の中間を西に折れ、牛頭ごず天王社に行当る左右の町。北は天王横てんのうよこ町に達し、南は神崎かみさき町に通じる。「水府地名考」では「天王の宮前の町を云ふ。元禄三の条令には天王前と可唱とあり」とみえる。天王前にあたるこの町を「水府地理温故録」「水府地名考」「新編常陸国誌」はともに「天王町」とする。


天王町
てんのうちよう

下京区木屋町通松原上ル三丁目

ほぼ南北に通る木屋町きやまち通に西面する町で、西側には高瀬たかせ川が、東側にはかも川が流れる。

平安京では京域外で、崇親すうしん院領となっていた。

寛文九年(一六六九)、一〇年にかけての鴨川筋新堤建設以後、町地として発展。寛文一二年洛中洛外大図に「天王丁」とあり、以後変更はない。

高瀬川筋の町々は町成立後も京都代官小堀仁右衛門の支配下にあったらしく、在方・町方の入組んだ支配を受けていたと思われる(北村伝兵衛家文書)


天王町
てんのうちよう

[現在地名]西尾市天王町

なか町・さかな町に直交して続く町並。昔はかまダケといい(西尾草創伝)天王てんのう社にちなみこの町名となる。三浦氏城主時代、間口八―九間の商家が並び、北側に二七、南側に一九戸があった(町人屋敷図)


天王町
てんのうちよう

[現在地名]豊橋市関屋せきや町・上伝馬かみでんま

吉田城の西、坂下さかした町の南に続く裏町。町名は天王さま(現吉田神社)にちなむと思われ、天王小路・外天王口・内天王門などがあった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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