杵屋六四郎
きねやろくしろう
長唄(ながうた)三味線方。現在まで5世を数える。3世から稀音家(きねや)と改姓し、現在稀音家派家元。
初世(1812―1871)4世杵屋六三郎の門弟で、1825年(文政8)六四郎と改名。『草紙洗(そうしあらい)』『三国妖狐(さんごくようこ)』の作曲者。
2世(1854―1897)初世の養子。
3世(1874―1956)稀音家六四郎。後の2世稀音家浄観(じょうかん)(同項目参照)。
4世(1904―1987)3世の実子で、本名杉本茂一。前名7世三郎助。1939年(昭和14)4世を襲名。
5世(1957―2015)4世の長男で、前名稀音家和隆。本名杉本和隆。1987年(昭和62)5世を襲名。
[渡辺尚子]
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杵屋六四郎(3世)
きねやろくしろう[さんせい]
[生]1874
[没]1956
長唄三味線方の家元。6世杵屋三郎助の実子。 1888年,3世杵屋六四郎を襲名し,1926年には杵屋を稀音家と改める。 02年,4世吉住小三郎とともに長唄研精会を組織し,家庭音楽としての長唄の発展に貢献。 29年,東京音楽学校講師,36年に同校教授。 39年,六四郎名儀を長男7世三郎助 (1904~87) に譲り,2世稀音家浄観となる。 48年日本芸術院会員となり,55年文化勲章を受章。作曲は『横笛』『元寇 (げんこう) 』など。研精会結成後は小三郎と合作し,『有喜大尽 (うきだいじん) 』『紀文大尽』『寒山拾得 (かんざんじっとく) 』『お七吉三』などを作曲。
杵屋六四郎(1世)
きねやろくしろう[いっせい]
[生]文化9(1812)
[没]明治4(1871)
長唄三味線方の家元。4世杵屋六三郎の門弟。文政7 (1824) 年頃,六四郎となる。作曲にもすぐれ,『三国妖狐 (ようこ) 物語』『草紙洗 (あらい) 』などを世に残した。
杵屋六四郎(2世)
きねやろくしろう[にせい]
[生]安政1(1854)
[没]1897
長唄三味線方の家元。5世杵屋弥十郎の門弟弥曾太郎。明治5 (1872) 年2世を継いだが,のち6世弥十郎となった。
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杵屋六四郎(初代) きねや-ろくしろう
1812-1871 江戸時代後期の長唄三味線方。
文化9年生まれ。4代杵屋六三郎の門弟。前名は初代鉄次郎。文政8年六四郎とあらため,天保(てんぽう)10年立三味線となった。明治4年1月21日死去。60歳。作品に「草紙洗小町(そうしあらいこまち)」「三国妖狐(さんごくようこ)物語」など。
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世界大百科事典(旧版)内の杵屋六四郎の言及
【那須野】より
…これを増補したとされる富本節(本名題《殺生石十三怪》)や一中節もある。また初世杵屋(きねや)六四郎作曲の長唄《三国妖狐物語》下の巻の別称でもある。【平野 健次】。…
【寒山拾得】より
…1911年9月文芸協会私演場で初演。作曲4世[吉住小三郎]・3世杵屋(きねや)六四郎(2世[稀音家浄観])。振付2世[藤間勘右衛門]。…
【紀文大尽】より
…作詞中内蝶二。作曲4世[吉住小三郎],3世杵屋(きねや)六四郎。吉原で豪遊する2代目紀伊国屋文左衛門が,江戸時代の元禄期に巨万の富を得た父紀文が,若き日に悲壮な決意をもって蜜柑(みかん)船で江戸に乗り込む夢を見る。…
【熊野】より
…57年(安政4)には,初世[宇治紫文]および宇治紫欣などの一中節宇治派と掛合で上演,そのとき増補された〈文の段〉の部分は,一中節のほうには残っている。(4)長唄 3世杵屋(きねや)六四郎(2世[稀音家(きねや)浄観])の1894年の作曲。全編ほぼ能に基づく。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」