杵屋弥十郎(読み)キネヤ ヤジュウロウ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「杵屋弥十郎」の解説

杵屋 弥十郎(9代目)
キネヤ ヤジュウロウ


職業
長唄唄方

本名
丹羽 善之助

別名
前名=吉住 小六郎

生年月日
明治42年 4月18日

経歴
6代目弥十郎の孫。4代目吉住小三郎に師事して、昭和10年9代目弥十郎を襲名三味線奏者としての家系の伝統から離れ、唄方となる。のち家元制への疑問から山田抄太郎(稀音家六治)と銀座に邦楽学校を設立。29年ロサンゼルスに移住して、日本舞踊家の妻・丹羽春子(三条勘弥)と共に古典芸能紹介尽力。その後52年の歌舞伎座公演などで度々来日。61年帰国。著書自伝「去り来る花」がある。

受賞
松尾芸能賞特別賞(第14回)〔平成5年〕

没年月日
平成8年 12月2日 (1996年)

家族
祖父=杵屋 弥十郎(6代目)


杵屋 弥十郎(6代目)
キネヤ ヤジュウロウ


職業
長唄三味線方

別名
初名=杵屋 弥曽太郎,前名=杵屋 六四郎(2代目)(キネヤ ロクシロウ)

生年月日
安政1年

経歴
5代目弥十郎の門弟初代杵屋六四郎の娘さくのむこ養子となり、明治5年2代六四郎を継いだ。16年養家を出て、2代松島庄五郎の尽力で同年6代弥十郎を襲名。家系に従い8代目弥十郎を名乗った。

没年月日
明治30年 5月13日 (1897年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「杵屋弥十郎」の解説

杵屋弥十郎(4代) きねや-やじゅうろう

1816-1873 幕末-明治時代の長唄三味線方。
文化13年生まれ。2代岡安喜三郎の子。長唄鼓方(つづみかた)今藤(こんどう)長才(2代田中佐十郎)の養子。養家の縁で弘化(こうか)4年4代杵屋弥十郎を襲名し,嘉永(かえい)2年立三味線にすすむ。のち離縁となり,杵屋新右衛門(2代),さらに杵屋子交と改名した。明治6年1月1日死去。58歳。初名は岡安喜美三郎。

杵屋弥十郎(5代) きねや-やじゅうろう

1840-1877 幕末-明治時代の長唄三味線方。
天保(てんぽう)11年生まれ。はじめ4代杵屋六三郎の養子となり,長次郎を名のる。のち離縁となって4代弥十郎に入門,弥吉と改名。慶応元年5代を襲名し,立三味線となる。大音の三味線で大薩摩(おおざつま)節を得意とした。明治10年7月31日死去。38歳。作品に「六花桜故事(むつのはなさくらのふるごと)」など。

杵屋弥十郎(2代) きねや-やじゅうろう

?-1803 江戸時代中期-後期の長唄三味線方。
初代杵屋弥十郎,あるいは初代杵屋正次郎の門弟。天明元年江戸森田座の立三味線にのぼり,3年2代弥十郎を襲名。作曲にもすぐれ,杵屋万吉(のちの杵屋別家9代六左衛門)をそだてた。享和3年4月1日死去。前名は杵屋巳太郎(初代)。作品に「八朔梅月の霜月」「東歌(あずまうた)」「五大力」など。

杵屋弥十郎(3代) きねや-やじゅうろう

?-? 江戸時代後期の長唄三味線方。
2代杵屋弥十郎の門弟。前名は2代巳太郎。武士から転身したとつたえられる。文政6年(1823)3代弥十郎を襲名し,天保(てんぽう)7年江戸森田座の立三味線となった。作品に「はやし獅子」「夢結縁草戸(ゆめむすぶえにしのくさど)」など。

杵屋弥十郎(初代) きねや-やじゅうろう

?-? 江戸時代中期の長唄三味線方。
初代杵屋新右衛門の門弟。前名は弥七(初代)。寛延元年(1748)弥十郎と改名,大薩摩(おおざつま)節やめりやすの三味線で人気をあつめ,宝暦10年(1760)ごろまで活動した。弥十郎の名は弥十郎派家元名として9代をかぞえる。

杵屋弥十郎(6代) きねや-やじゅうろう

1854-1897 明治時代の長唄三味線方。
嘉永(かえい)7年生まれ。5代杵屋弥十郎の門弟。前名は弥十太郎。初代杵屋六四郎の婿養子となって2代六四郎をつぐ。のち養家を出,明治16年6代弥十郎を襲名した。明治30年5月13日死去。44歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「杵屋弥十郎」の意味・わかりやすい解説

杵屋弥十郎(7世)
きねややじゅうろう[ななせい]

[生]1909.4.18. 東京
[没]1996.12.2. 東京
長唄三味線方の家元。6世杵屋弥十郎の孫。本名丹羽善之助。 1935年襲名。 54年渡米,ロサンゼルスで長唄の指導などを行い,邦楽の紹介に尽力した。作曲には『少将滋幹の母』がある。

杵屋弥十郎(5世)
きねややじゅうろう[ごせい]

[生]天保11(1840)
[没]1873
長唄三味線方の家元。4世杵屋弥十郎の門弟。前名弥吉。元治1 (1864) 年頃,5世を襲名。大薩摩が巧みで,長唄三味線の糸が太くなったのはこの人からといわれる。『六の花』を作曲。

杵屋弥十郎(2世)
きねややじゅうろう[にせい]

[生]?
[没]享和3(1803)
長唄三味線方の家元。1世杵屋正次郎の門弟と推測されている。天明1 (1781) 年,巳太郎から2世弥十郎となる。『五大力』の作曲者。

杵屋弥十郎(1世)
きねややじゅうろう[いっせい]

長唄三味線方の家元。1世杵屋新右衛門の門弟といわれ,寛延1 (1748) 年,弥七から弥十郎と改めた。寛延~宝暦年間 (48~64) 頃活躍した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の杵屋弥十郎の言及

【娘道成寺】より

…作詞藤本斗文。作曲初世杵屋(きねや)弥十郎,杵屋作十郎。振付初世中村富十郎,市川団五郎。…

※「杵屋弥十郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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