松代村(読み)まつだいむら

日本歴史地名大系 「松代村」の解説

松代村
まつだいむら

[現在地名]松代町松代

南を渋海しぶみ川が流れ、東は大平たいへい村、南対岸は千年ちとせ村。四方を山に囲まれた盆地状の土地に立地。松苧まつお神社の由緒御神号書上帳(宮沢正臣氏蔵)によると、古くは「松平村」であったが、慶長一五年(一六一〇)松平忠輝の支配下になったため遠慮して松代村と称するようになったという。正保国絵図では高一二〇石余。天和三年郷帳では高一三五石五斗余、反別田九町五反余・畑屋敷六町四反余・山林一町四反・青苧畑三反余で、漆木二四本、家数四二、うち蔵一。安永九年(一七八〇)新田検地では高一二九石二斗余。明治五年(一八七二)の戸数一四三。


松代村
まつしろむら

[現在地名]大田市久利町松代くりちようまつしろ

久利村の北に位置し、銀山ぎんざん川の中流域に立地する。応安元年(一三六八)一二月一三日に作成され、応永一〇年(一四〇三)正月二〇日に諸和太郎左衛門により書替えられた久利惣領田畠目録案(久利文書)に「松代分」とみえる。天正一三年(一五八五)八月の小笠原長旌所領目録(島根県史)に「同取米不知 松代村」とある。正保国絵図に村名がみえ、高一五〇石余。元禄一〇年(一六九七)の石見銀山領村々覚によると田方九八石余・畑方五三石余、年貢高は米四六石余・銀四三〇匁余。


松代村
まつだいむら

[現在地名]鰺ヶ沢町松代町

中村なかむら川の上流にあり、東に岩木山がそびえ、北は蘆萢あしやち村、南は枯木平かれきだい(現中津軽郡岩木町)に接する。

貞享元年(一六八四)の郷村帳に高八八・二石とある。同四年の検地帳に、村高四二・〇四二石、うち田方三二・七六六石、畑方九・二七六石とあり、除地として「薬師堂地 百沢寺抱」とある。元禄三年(一六九〇)には駒越組に属し、村位は下とある(平山日記)菅江真澄の「外浜奇勝」に「枯木平の牧、冷水の沢、杉平、右に一森、黒森、遠姑斯の沢、左に黒山、手代山、松たひ村になりぬ」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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