松岡静雄(読み)マツオカ シズオ

20世紀日本人名事典 「松岡静雄」の解説

松岡 静雄
マツオカ シズオ

明治〜昭和期の言語学者,海軍大佐



生年
明治11(1878)年5月1日

没年
昭和11(1936)年5月23日

出生地
兵庫県神崎郡田原村辻川

学歴〔年〕
海兵〔明治30年〕卒

経歴
明治31年シドニーに向けて遠洋航海に出る。32年海軍少尉に任官。33年軍艦八雲の廻航員としてドイツに派遣され、日露戦争には軍艦千代田航海長として従軍。ついで軍令部参謀、42年オーストリア大使館付武官を歴任し、大正3年第1次大戦の日独戦役では軍艦筑波副長として南洋諸島に出動しボナペ島を占領、のち軍政署長となった。7年予備役に編入後、日蘭通交調査会を設立し理事となるが、13年病のため辞し、以後はもっぱら国語及び言語学研究に従った。南洋諸島民族研究の権威であり、南進論者として活躍した。著書に「日本言語学」「太平洋民族誌」「日本古俗誌」「ミクロネシア民族誌」「日本古語大辞典」(2巻)「紀記論攻」(14巻)「滞欧日記」など多数。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「松岡静雄」の意味・わかりやすい解説

松岡静雄
まつおかしずお

[生]1878.5.1. 兵庫,田原
[没]1936.5.23. 神奈川,藤沢
民族学者,言語学者。民俗学者柳田国男の弟。海軍兵学校卒業後,オーストリア駐在武官を経て,第1次世界大戦後,旧ドイツ領の南洋諸島が日本の信託統治領(→南洋諸島委任統治問題)となったとき初代の民政署長を務めた。1918年海軍大佐で退役し,日蘭通交調査会を創立して理事に就任。その後ミクロネシア民族学言語学の研究に従事。さらに,オセアニア民族学の知識と文献学的知識によって日本の古代生活を明らかにしようと試みた。著書に『太平洋民族誌』『ミクロネシア民族誌』『ミクロネシア語の総合研究』などがある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松岡静雄」の解説

松岡静雄 まつおか-しずお

1878-1936 明治-昭和時代前期の軍人,言語学者。
明治11年5月1日生まれ。医師松岡操の7男。兄に柳田国男,弟に松岡映丘。海軍大佐。大正7年退役し,日蘭通交調査会を創立してニューギニアなどの開発をはかった。のち国語学,言語学,南洋諸島民族を研究。昭和11年5月23日死去。59歳。兵庫県出身。海軍兵学校卒。著作に「日本古語大辞典」「ミクロネシア民族誌」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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