20世紀日本人名事典 「松島十湖」の解説 松島 十湖マツシマ ジッコ 明治期の俳人 生年嘉永2年3月17日(1849年) 没年大正15(1926)年7月10日 出身地遠江国中善地村(静岡県浜松市) 本名松島 吉郎 経歴明治9年浜松県民会議員、14年引佐麁玉郡長などを務める傍ら農業知識の啓発のため西遠農学社を興し、天竜川の治水事業や稲のウンカ対策にも尽力。一方、14歳の時俳人・栩木夷白の門人に。16歳で師範格になり、芭蕉の流れをくむ旧派地方俳壇の第一人者として句作を続けた。また二宮尊徳を崇拝、影響を受けた教訓的作品の句碑が60以上建立されたほか、生前自らの葬式を出すなど数々の奇行でも知られた。著書に「道の栞」「三匹猿」「十湖発句集」など。平成3年浜松文芸館で十湖展が開かれた。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松島十湖」の解説 松島十湖 まつしま-じっこ 1849-1926 明治時代の俳人,農政家。嘉永(かえい)2年3月17日生まれ。栩木夷白(とちき-いはく),伊藤嵐牛,橘田(きった)春湖に師事し,おおくの門人をそだてる。福山滝助に報徳思想をまなび,明治元年生地遠江(とおとうみ)中善地村(静岡県浜松市)に報徳社を,5年報徳遠譲社を結成し社長。県会議員,郡長をつとめた。大正15年7月10日死去。78歳。名は吉平。【格言など】正直を初商いのもとでかな(信条) 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例