松崎町(読み)まつざきまち

日本歴史地名大系 「松崎町」の解説

松崎町
まつざきまち

[現在地名]東郷町松崎・竜島りゆうとうあさひ

東郷池の南東岸に臨み,東郷川と舎人とねり川との間の沖積低地に位置する。東は中興寺ちゆうこうじ村に続く。倉吉往来の宿駅で、鳥取藩着座家和田氏の自分手政治も行われた町場。古くから水陸交通の要衝であったため、当地北方の城山しろやま西にしまるの台地には松崎城が築かれた。天正九年(一五八一)五月一五日の南条元続安堵状(山田家文書)に「松崎」とみえる。藩政期の拝領高四五石余。和田氏の給地(給人所付帳)。宝暦三年(一七五三)頃の河村郡村々明細帳(近藤家文書)によれば朱高五〇石余、高六二石余、うち畑高五二石余。免五ツ九分。池役銀二〇〇匁が課され、小猟船三艘(運上銀九匁)、草刈船一八艘(同三四匁)があった。産土神は松崎大明神(現松崎神社)で、ほかに御国札一一番観音堂、浄土宗西向さいこう寺・法華宗本立ほんりゆう寺・一向宗法林ほうりん寺などがあった。

寛永一〇年(一六三三)河村郡の大庄屋給として、当地の市郎衛門は九俵を与えられていた(「大庄屋給帳」県立博物館蔵)。宝暦二年に舎人谷・東郷谷の草山入会をめぐり、白石しらいし野方のかた両村と当町など三町村の間に争論があった。天保一五年(一八四四)には米子町・倉吉町などとともに地改が行われることとなり、絵図・諸帳面を提出することとされた。各種の網を使用して東郷池で漁業を行っていたが、文政五年(一八二二)堰網・捨網を張ったところ、上浅津かみあそづ村・下浅津村・南谷みなみだに村・上橋津かみはしづ(現羽合町)藤津ふじつ村・門田かどた村は船通行および漁業の障害になるとして和田家に訴えている。また当町と下浅津村の者が東郷池の河口に四ッ張網(運上米五石)に加えて大敷網を使用しているため、文久二年(一八六二)川下の橋津村・上橋津村・南谷村・赤池あかいけ(現羽合町)の四村は不漁を訴えている。同元年当町は橋津御蔵のかわし場とされた(以上「在方諸事控」)

〔自分手政治〕

寛永九年池田光仲が鳥取藩主となったのち当地を和田飛騨守(三正)に預け、同家は家臣を置いて自分手政治を行った(藩史)。和田氏はもとは近江国甲賀こうか和田わだ(現滋賀県信楽町)を本拠とする武士で、和田正信のとき池田氏の家臣となり、池田信輝、その子輝政に仕えた。正信は池田忠継のときには家老職にあったが寛永初年に没し、米子の荒尾成房の子三正が和田氏を継ぎ、池田忠雄の家老となった。


松崎町
まつざきまち

[現在地名]小郡市松崎

山隈やまぐま村の南西にあり、じよん山の山麓台地山隈原やまぐまばるの南西端部にあたる。南北に薩摩街道(松崎街道)が通り、当地より北東に秋月街道が分れる。寛文八年(一六六八)久留米領より有馬豊範領が割かれて松崎藩が成立、当地に藩政庁が置かれた。これに伴い上岩田かみいわた村の原野を開いて家並を構え、松崎としたという(御原郡之内地誌)。あるいは山隈野の麓でもとは鶴崎つるさきといい、のち松崎と称したともいう(吉浦盛興「松崎記」元文三年刊)。久留米藩領古図に松崎とみえる。元禄国絵図では「松崎町馬次」とあり、無高と記される。「在方諸覚書」では古高二五石・役高五二石とあり、松崎町の別当彦左衛門・名代役清五郎が記される。


松崎町
まつざきちよう

面積:八五・二二平方キロ

伊豆半島西海岸の南部に位置する。東は婆娑羅ばさら(六〇八・四メートル)とそれに連なる山地を隔てて下田市。南は蛇石じやいし山地を境に南伊豆町。北は長九郎ちようくろう(九九五・七メートル)から西方に続く山地を境に西伊豆町。西は駿河湾岩科いわしな川が北西に流れ、西流する那賀なか川と河口近くで合流する。海岸線に沿って国道一三六号が通る。県道南伊豆―松崎線は岩科川沿いに蛇石峠を越えて南伊豆町へ、県道下田―松崎線は那賀川に沿って婆娑羅峠を越えて下田市へ向かう。縄文時代の遺跡では中期後半頃の住居跡が一〇基以上発見された平野山ひらのやま遺跡があり、また道部みちぶ古墳などが岩科川両岸の段丘上に点在する。


松崎町
まつざきまち

[現在地名]鹿児島市上福元町

近世谷山たにやま郷の麓に隣接し、谷山筋に面した町および浦で、会所が設けられて部当・横目が置かれた。谷山三ヶ浦の一で、文化三年(一八〇六)改の諸浦御奉公並万上納物定(列朝制度)によれば浦男女一千一七六、浦水手役三五人立・雇水手役三八人立、魚運上銀一八〇目・漁師銀一二匁であった。「鹿児島県地誌」によれば税地七町二反余、うち宅地七町一反余・畑八畝余、戸数四九〇(うち士族二八・社一)、男一千二四二・女一千二七六、馬九、漁船八三、素麺一千六二斤・鯖鰺類一一五万尾・鯛一二万尾・五千尾・鰮五万斤。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「松崎町」の意味・わかりやすい解説

松崎〔町〕
まつざき

静岡県東部,伊豆半島南西部,駿河湾に面する町。 1901年町制。 55年中川村と合体,56年岩科村を編入。大部分が山地。海岸線は屈曲に富み,千貫門海食洞などの景勝地がある。第2次世界大戦前は早場繭の産地として知られていた。現在は花卉,柑橘類の栽培が行われ,都市部への出荷が多い。岩地港は遠洋漁業の根拠地。岩地,雲見,石部の各集落には温泉があり,磯釣り場,海水浴場,キャンプ場として観光開発が活発。海岸線は伊豆西南海岸として名勝。伊豆特有の「なまこ壁」の発案者として知られる入江長八の記念館がある。沿岸部を国道 136号線が通り,一部は富士箱根伊豆国立公園に属する。面積 85.19km2。人口 6038(2020)。

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