松村 雄之進
マツムラ ユウノシン
明治・大正期の政治活動家 衆院議員(無所属)。
- 生年
- 嘉永5年2月21日(1852年)
- 没年
- 大正10(1921)年2月22日
- 出生地
- 筑後国久留米(福岡県久留米市)
- 別名
- 号=鉄肝
- 経歴
- 若くして国事に奔走、明治4年長州奇兵隊の大楽源太郎が脱走して久留米に逃げ込み、久留米藩主が政府に疑われたため大楽を暗殺、政治犯として入獄。11年出獄。13年藩士150戸を率いて福島県に移住、水用を開拓した。15年立憲帝政党結成に参加、次いで大阪府警部となったが半年で辞任し神戸で茶の輸出商となった。28年日清戦争に従軍、戦後台湾新竹支庁長となり、「台湾制度考」を編纂、次いで29年雲林支庁長、30年北海道宗谷支庁長などを歴任。35年久留米から衆院議員に当選したが、以後出馬せず院外団の活動家として活躍した。大正2年対支連合会に加盟して満蒙問題に尽力した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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松村 雄之進
マツムラ ユウノシン
- 肩書
- 衆院議員(無所属)
- 別名
- 号=鉄肝
- 生年月日
- 嘉永5年2月(1852年)
- 出生地
- 筑前国久留米(福岡県)
- 経歴
- 若くして国事に奔走、明治4年長州奇兵隊の大楽源太郎が脱走して久留米に逃げ込み、藩主が政府に疑われたため大楽を暗殺、政治犯として入獄。11年出獄。13年藩士150戸を率いて福島県に移住、水用を開拓した。その後立憲帝政党結成、次いで大阪府警部となったが半年で辞任し神戸で茶の輸出商となった。28年日清戦争に従軍、戦後台湾新竹支庁長となり、「台湾制度考」を編纂、次いで29年雲林支庁長、30年北海道宗谷支庁長を歴任。35年久留米から衆院議員に当選。その後、大正2年対支連合会に加盟して満蒙問題に尽力した。
- 没年月日
- 大正10年2月22日
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報
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松村雄之進 まつむら-ゆうのしん
1852-1921 明治-大正時代の政治家。
嘉永(かえい)5年2月21日生まれ。明治4年大楽(だいらく)源太郎暗殺事件にくわわり,7年間服役。のち旧久留米(くるめ)藩士をひきいて福島県に移住し,開拓にあたる。15年福地源一郎(桜痴)らの帝政党にくわわる。台湾の新竹支庁長,雲林支庁長をつとめ,35年衆議院議員となる。大正10年2月22日死去。70歳。筑後(ちくご)(福岡県)出身。号は鉄肝。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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松村雄之進
没年:大正10.2.22(1921)
生年:嘉永5.2.21(1852.3.11)
明治大正期の政治活動家。筑前(福岡県)久留米の神官の子。明治15(1882)年立憲帝政党に加わり,台湾総督府官有物取調委員長,台中県支庁長,北海道宗谷支庁長,上川支庁長などを歴任。35年第7回衆院議員選挙で久留米市から当選したが,以後出馬せず,院外団の活動家として活躍した。<参考文献>吉富莞爾編『松村雄之進』
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
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松村 雄之進 (まつむら ゆうのしん)
生年月日:1852年2月21日
明治時代;大正時代の政治家。衆議院議員;北海道宗谷支庁長
1921年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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