日本大百科全書(ニッポニカ) 「松永安左ヱ門」の意味・わかりやすい解説
松永安左ヱ門
まつながやすざえもん
(1875―1971)
明治から昭和期の実業家、電力企業家。明治8年12月1日、長崎県壱岐(いき)の素封家2代目松永安左ヱ門の長男として生まれ、1893年(明治26)3代目安左衛門を襲名。幼名亀之助。1899年慶応義塾中退ののち慶応閥を頼りに職を転々としたが、1909年(明治42)福沢桃介(諭吉(ゆきち)の女婿)の助力を得て創立した福博電気軌道(1912年九州電灯鉄道と改称)で成功した。以後次々と電力会社の吸収、設立、経営関与を進め、急速に事業を拡大した。また1910年には日本瓦斯(ガス)も設立。その後九州電灯は1922年(大正11)関西電気と合併して東邦電力となり、五大電力の一角を占めるまでに発展、1928年(昭和3)には同社社長に就任した。これより先1924年に東京電力を設立し、三井系の東京電灯と「電力戦国時代」とよばれる熾烈(しれつ)な競争を展開した話は有名で、「人生は闘争なり」とする松永の面目躍如たるものがあった。電力国家管理反対運動のリーダーであったが、日本発送電が発足するといっさいの事業から退いた。第二次世界大戦後、電力事業再編成審議会会長としてカムバック、電力九分割を断行し、また1953年には電力中央研究所を設立するなど電力業界に大きな影響力を行使、「電力王」「電気の鬼」とよばれた。トインビー著『歴史の研究』全巻の翻訳・刊行にも尽力。昭和46年6月16日没。壱岐に松永記念館がある。
[畠山秀樹]
『宇佐美省吾著「松永安左衛門伝」(『日本財界人物全集 8』所収・1954・東洋書館)』▽『松永安左衛門伝刊行会編・刊『松永安左衛門の生涯』(1980)』▽『『松永安左エ門著作集』全6巻(1982~1983・五月書房)』