「癲狂」は漢方医学で精神疾患の総称であり、日本でも養老律令(ようろうりつりょう)(718)以来公的用語としても使用されてきた。学説の変遷もあるが、「癲」はてんかんにほぼ相当し、「狂」は行動異常や妄想を主症状とする精神病をさしてきた。「癲狂院」は「医制」(1874)中にも各種病院の一つにあげられており、明治時代前半において精神科病院の呼称であった。類語として、癲院、瘋癲(ふうてん)病院、癲狂病院、狂疾院もあったが、癲狂院の呼称がもっとも広く使用された。
主として江戸末期から、癲狂治療を専門にする治療所が数か所でき、明治時代に病院として認可されていくが、癲狂院として最初に認可されたのは京都癲狂院である。これは、1872年(明治5)創設の京都療病院付属の形で、京都府が南禅寺方丈に設立し、75年7月25日に開業した。ここでは作業治療も行われるなど、かなり進んだ治療がなされていたらしい。76年に医員神戸文哉(かんべぶんさい)がイギリスのモーズリーの書を訳した『精神病約説』を刊行したのが、日本における洋説精神医学書の最初である。入院患者は81年には268人に達し、漸次隆盛に向かったが、大赤字で、収入の半分は寄付であった。地方財政悪化のため、この最初の公立精神科病院は82年10月に廃止されて、その医療器具、調度は私立癲狂院(現川越病院)に引き継がれた。京都癲狂院に続いては78年に東京に私立の癲狂病院(もと狂疾治療所)と、瘋癲病院が、翌年には府立の東京府癲狂院および私立の瘋狂病院(のち根岸病院)が設立された。87年当時の癲狂院は、東京府に4院(うち公立は1)、京都府に3院、大阪府に3院であった。精神科病院がこのように三府、なかでも東京府に偏在する傾向は大正年代いっぱいまで続く。東京府癲狂院は89年に、患者がその名を嫌って入院を拒否するからとの理由で、東京府巣鴨(すがも)病院と改称された。ついで精神病院を院名に入れるものが出、98年の東京脳病院あたりから脳病院を称するものが増加してきて、癲狂院・癲狂病院の呼称は大正時代に消滅した。この呼称は、日本で精神疾患に対する施策が貧困で、公的な精神科病院がほとんどなかった時代を象徴している。
[岡田靖雄]
『岡田靖雄著『私説松沢病院史』(1981・岩崎学術出版社)』
…精神障害者の治療・保護の目的でつくられ,入院と通院設備を備えた施設をいう。以前には瘋癲(ふうてん)院,癲狂院,脳病院などの名称が用いられたが,現今は精神病院と称せられる。
[歴史]
精神障害者の収容施設の歴史は古いが,記録に残る最古のものは491年エルサレムに開設されたものとされている。…
※「癲狂院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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