朝日日本歴史人物事典 「板部岡江雪」の解説
板部岡江雪
生年:天文5(1536)
初めは戦国大名北条氏の奉行。江雪は斎号としても使用。融成は入道名か。越中守。田中泰行と岩本摂津守の娘の子で,板部岡能登守の遺領を継いで板部岡と改めたとも,また伊豆下田の真言宗の僧であったとも伝えるが,真偽は不明。天正10(1582)年に北条氏直が徳川家康と講和を結んだ際,また同17年,小田原を狙う豊臣秀吉との交渉に際し,使者として活躍した。北条氏滅亡ののちは秀吉に仕え御伽衆となり,氏を岡野と改めた。秀吉の没後は家康に起用された。『江雪詠草』などの著書を残し,和歌,連歌のほか茶湯にも通じた教養豊かな能吏といえよう。<参考文献>井上宗雄『中世歌壇史の研究 室町後期』
(佐脇栄智)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報