御伽衆(読み)おとぎしゅう

精選版 日本国語大辞典 「御伽衆」の意味・読み・例文・類語

おとぎ‐しゅう【御伽衆】

〘名〙 戦国江戸時代将軍家、諸大名家に設けられた職制の一つ。特殊な経験、知識の所有者で咄(はなし)のうまい者が召し抱えられ、主人に近侍して雑談の相手をした。元来、大人相手の大人であって、子供相手の子供は少なかったが、徳川家光の頃から若殿相手の前髪の御伽衆も頻出した。御咄衆。御談伴(おだんぱん)安西衆。伽衆。
大内氏実録(室町末)大内殿有名衆「御伽衆 淡路彦四郎殿〈略〉今井主水正殿 廿三人」
[語誌]戦国時代では、都や他大名の情勢地理など、実際的な情報を提供するのが役割だったが、後には、耳学問的に連歌古典、故実、医学などの教養主君に進講したり、他家使者に立ったりするなどの役割が主となった。

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デジタル大辞泉 「御伽衆」の意味・読み・例文・類語

おとぎ‐しゅう【×伽衆】

室町末期以後、将軍・大名のそばにいて話し相手書物講釈などをした人。御伽坊主

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改訂新版 世界大百科事典 「御伽衆」の意味・わかりやすい解説

御伽衆 (おとぎしゅう)

御咄衆(おはなししゆう),御談伴(ごだんばん),ときに安西衆(あんざいしゆう)ともいう。室町末期から江戸初期に特有な一種の役職。その職掌は昼夜君側に侍して武辺咄(ぶへんばなし)や自己の経験談などを披露するもので,資格は話上手,特殊技能の持主,経験豊かな古老格のものに限られた。彼らの話は封建領主らの領国支配に役立てるのが主たる目的であった。だから各地をめぐり,多くの主君に仕え,経験をつんだものほど珍重された。出身も公家,大名,武士,商人,神官,僧侶,検校(けんぎよう),兵法家,右筆,学者,医者,連歌師,茶匠などと多彩をきわめた。豊臣・徳川両政権,大内・武田・毛利・前田諸家のそれは有名。このほか江戸時代には若殿相手の小姓格のものがあった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「御伽衆」の意味・わかりやすい解説

御伽衆
おとぎしゅう

室町末~江戸初期の役職の一つ。主君の側(そば)に侍し、日夜の御伽を勤めた。御伽の主用が主君の咄(はなし)相手でもあったので御咄衆ともいわれ、江戸時代になると談判(だんぱん)、または安西(あんざい)衆ともいわれた。天文(てんぶん)年間(1532~55)の周防(すおう)の『大内氏実録』にみえるのが初見。武田、毛利、後北条(ごほうじょう)、織田、徳川氏など広く戦国大名間で流行したが、もっとも多く召し抱えていたのは豊臣(とよとみ)秀吉で、富田知信(とみたとものぶ)、大村由己(ゆうこ)ほか三十数名とされる。御伽衆は、特殊な技術のほか、武辺談や政談の必要から、相応の豊富な体験や博学多識、話術の巧みさが要請されたため、故実や昔のことをよく知っている年老いた浪人が起用されることが多かった。江戸期にはしだいに少年が起用されるようになり、若殿の遊び相手となっていった。

[久保田昌希]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「御伽衆」の意味・わかりやすい解説

御伽衆
おとぎしゅう

戦国~江戸時代,主君のそば近くにあって話相手をする役。御咄 (はなし) 衆ともいう。戦国時代,戦陣の慰安のための話や,また武士としての心得などについての話が喜ばれたという。大内氏や武田氏などで老臣,功労者に話をさせたことに始り,やがて毛利,豊臣,前田,徳川諸氏の間でも行われるようになった。

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旺文社日本史事典 三訂版 「御伽衆」の解説

御伽衆
おとぎしゅう

戦国・安土桃山時代,大名などにそば近く仕え,軍陣のつれづれを慰めるための者
曽呂利新左衛門など話し上手な僧侶や盲人・知識人がその衆となる。室町時代の同朋衆の系列に属する。

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世界大百科事典(旧版)内の御伽衆の言及

【大村由己】より

…安土桃山時代の儒僧,軍記作者。豊臣秀吉の御伽衆。梅庵,藻虫斎と号した。…

【幇間】より

…古く《あづま物語》(1614)に〈太鼓持〉の語があるが,詳細はわからない。初めは客が個人的に同伴した案内者だったようで,戦国武将における御伽衆(おとぎしゆう)のような存在であったかと思われる。しかし,元禄期(1688‐1704)には専業の幇間が現れており,《諸国色里案内》(1688)には〈此(この)道のわけしり,揚屋(あげや)の手引するものを太鼓〉とあって,遊里の案内者として遊郭外から連れていくべきものとされた。…

【落語】より

…〈らくご〉と読むようになったのは,1887年(明治20)ごろからであり,普及したのは昭和に入ってのことだった。
【歴史】

[落語の起源]
 落語家の祖として,16世紀末の安土桃山時代に,武将の側近にあって咄の相手をした御伽衆(おとぎしゆう)(御咄衆(おはなししゆう))の存在があった。御伽衆の笑話を編集した《戯言養気集(ぎげんようきしゆう)》(慶長年間(1596‐1615))が,このことを証明している。…

※「御伽衆」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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