戦国時代では、都や他大名の情勢や地理など、実際的な情報を提供するのが役割だったが、後には、耳学問的に連歌、古典、故実、医学などの教養を主君に進講したり、他家へ使者に立ったりするなどの役割が主となった。
御咄衆(おはなししゆう),御談伴(ごだんばん),ときに安西衆(あんざいしゆう)ともいう。室町末期から江戸初期に特有な一種の役職。その職掌は昼夜君側に侍して武辺咄(ぶへんばなし)や自己の経験談などを披露するもので,資格は話上手,特殊技能の持主,経験豊かな古老格のものに限られた。彼らの話は封建領主らの領国支配に役立てるのが主たる目的であった。だから各地をめぐり,多くの主君に仕え,経験をつんだものほど珍重された。出身も公家,大名,武士,商人,神官,僧侶,検校(けんぎよう),兵法家,右筆,学者,医者,連歌師,茶匠などと多彩をきわめた。豊臣・徳川両政権,大内・武田・毛利・前田諸家のそれは有名。このほか江戸時代には若殿相手の小姓格のものがあった。
執筆者:北原 章男
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室町末~江戸初期の役職の一つ。主君の側(そば)に侍し、日夜の御伽を勤めた。御伽の主用が主君の咄(はなし)相手でもあったので御咄衆ともいわれ、江戸時代になると談判(だんぱん)、または安西(あんざい)衆ともいわれた。天文(てんぶん)年間(1532~55)の周防(すおう)の『大内氏実録』にみえるのが初見。武田、毛利、後北条(ごほうじょう)、織田、徳川氏など広く戦国大名間で流行したが、もっとも多く召し抱えていたのは豊臣(とよとみ)秀吉で、富田知信(とみたとものぶ)、大村由己(ゆうこ)ほか三十数名とされる。御伽衆は、特殊な技術のほか、武辺談や政談の必要から、相応の豊富な体験や博学多識、話術の巧みさが要請されたため、故実や昔のことをよく知っている年老いた浪人が起用されることが多かった。江戸期にはしだいに少年が起用されるようになり、若殿の遊び相手となっていった。
[久保田昌希]
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出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…古く《あづま物語》(1614)に〈太鼓持〉の語があるが,詳細はわからない。初めは客が個人的に同伴した案内者だったようで,戦国武将における御伽衆(おとぎしゆう)のような存在であったかと思われる。しかし,元禄期(1688‐1704)には専業の幇間が現れており,《諸国色里案内》(1688)には〈此(この)道のわけしり,揚屋(あげや)の手引するものを太鼓〉とあって,遊里の案内者として遊郭外から連れていくべきものとされた。…
…〈らくご〉と読むようになったのは,1887年(明治20)ごろからであり,普及したのは昭和に入ってのことだった。
【歴史】
[落語の起源]
落語家の祖として,16世紀末の安土桃山時代に,武将の側近にあって咄の相手をした御伽衆(おとぎしゆう)(御咄衆(おはなししゆう))の存在があった。御伽衆の笑話を編集した《戯言養気集(ぎげんようきしゆう)》(慶長年間(1596‐1615))が,このことを証明している。…
※「御伽衆」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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